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「白紙」のサッカー人生
松澤隆司-「白紙」のサッカー人生・最終回
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 ◇情熱は衰えず
 「厳しい守備と速い攻め」

 松澤が掲げるサッカーのスタイルは実にシンプルである。「疾風怒涛」。鹿実の試合にいつもお目見えする横断幕に鹿実サッカーのイメージは集約される。そのサッカーを作り上げるために、常に自らを白紙の状態に置き、選手の個性を見極める。15―8歳の子供たちを相手にそんな作業を40年近く繰り返してきた。
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「白紙」のサッカー人生
松澤隆司―「白紙」のサッカー人生・第6回
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◇松澤流選手育成術
 松澤は「自分は指導者として何もない、素人同然だった」と言う。だが、松澤のもとからは日本代表クラスを筆頭にプロの世界で活躍する選手が巣立っている。

  「素人だからこそ、いろんなことに対して白紙で取り組めた。指導者になりたての頃は、自分なりの指導理論も何もないから『会う人全てが師匠』の気持ちだった」
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「白紙」のサッカー人生
松澤隆司-「白紙」のサッカー人生・第5回
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◇第1期黄金期から苦難の時代へ
 67、68年は全ての県大会を制し、県内無敵を誇った。67年には福井であった全国高校総体(インターハイ)に初出場。下西園広美、永里千尋らがチームの中心選手だった。このとき活躍したエースストライカー・宮脇(旧姓小崎)実が卒業後、日本リーグ(Jリーグの前身)の永大産業に進んだ。鹿実出身、そして鹿児島県出身選手として「プロサッカー選手」第1号である。
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「白紙」のサッカー人生
松澤隆司―「白紙」のサッカー人生・第4回
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◇鹿実サッカー部草創期
 今や鹿児島のそして、全国の高校サッカー界で確固たる名声を築いた鹿実サッカー部は、学校の八十周年記念誌によると1958年4月の創部となっている。当時の在校生だった松尾稔、日高勇らが中心になってその2年前ごろから同好会として活動していたらしい。
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「白紙」のサッカー人生
松澤隆司―「白紙」のサッカー人生・第3回
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◇「電気」、「鹿実教員」の道
 高校卒業後は、ある商事会社に勤めた。もともとは進学希望だっが、母一人子一人の母子家庭での進学は経済的にも厳しかった。1年間は普通の勤め人をやっていた。サッカーはクラブチームで趣味にやった程度。転機は2年目の夏に訪れた。
 同窓会でかつての仲間たちと再会。大学に進学した同級生たちの話を聞いていると、負けず嫌いの血が騒ぎ出した。夏で会社を辞めると、独学で大学受験の勉強を始めた。目指したのは経済学部。関東の大学を2校受験したが、数カ月の受験勉強ではどうにもならず、大学進学は果たせなかった。
 翌年の4月から電子技術の専門学校に通い始めた。受験の準備をしていたころ、勉強を教えてくれた近所の鹿児島大学工学部のお兄さんに「これからは電気の時代だ」と言われたことが頭にあった。専門学校へ2年間通い、無線通信士と無線技術士の資格を目指した。卒業までに上級免許を取得できなかったが、学校に残ってあと数単位取得すればいいところまで単位は取っていた。

 「あのままいってたら、船に乗っていたか、無線関係の仕事をしていただろうね」
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