
◇鹿実サッカー部草創期
今や鹿児島のそして、全国の高校サッカー界で確固たる名声を築いた鹿実サッカー部は、学校の八十周年記念誌によると1958年4月の創部となっている。当時の在校生だった松尾稔、日高勇らが中心になってその2年前ごろから同好会として活動していたらしい。
県内外から32人がチャレンジ

来季、鹿児島に誕生するプロバスケットボールチームの第一次トライアウトが12月28日、鹿児島市の県体育館であった。県内外から32人のバスケットマンが参加した。
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◇「電気」、「鹿実教員」の道
高校卒業後は、ある商事会社に勤めた。もともとは進学希望だっが、母一人子一人の母子家庭での進学は経済的にも厳しかった。1年間は普通の勤め人をやっていた。サッカーはクラブチームで趣味にやった程度。転機は2年目の夏に訪れた。
同窓会でかつての仲間たちと再会。大学に進学した同級生たちの話を聞いていると、負けず嫌いの血が騒ぎ出した。夏で会社を辞めると、独学で大学受験の勉強を始めた。目指したのは経済学部。関東の大学を2校受験したが、数カ月の受験勉強ではどうにもならず、大学進学は果たせなかった。
翌年の4月から電子技術の専門学校に通い始めた。受験の準備をしていたころ、勉強を教えてくれた近所の鹿児島大学工学部のお兄さんに「これからは電気の時代だ」と言われたことが頭にあった。専門学校へ2年間通い、無線通信士と無線技術士の資格を目指した。卒業までに上級免許を取得できなかったが、学校に残ってあと数単位取得すればいいところまで単位は取っていた。
「あのままいってたら、船に乗っていたか、無線関係の仕事をしていただろうね」

プロサッカー選手を夢見て○○高校に進学する。指導者として全国制覇を夢見て教員になる…人生に対する「目標」を掲げ、一つ一つをクリアしながらステップアップを繰り返して、偉業を成し遂げる。小学生に読み聞かせるような偉人伝の立身出世物語がこうだとしたら、松澤隆司のサッカー人生は、それとは好対照といえる。
「学校の先生なんて、俺の性分には合わない。そもそも鹿実の教員は半年で辞めるつもりだったんだから…」
若き日の松澤は、サッカーの指導者で生計を立てていくことや、チームを日本一に導く夢など考えてもみなかった。紹介してくれた知人の顔を立てるためだけに足を運んだ学校で、サッカー部の指導を任され、以来40年近い歳月が過ぎようとしている。この間、1996年正月の全国高校サッカー選手権優勝をはじめ、鹿実サッカーは全国の高校サッカー界屈指の名門となり、前園真聖、城彰二、平瀬智行、遠藤彰弘・保仁兄弟、松井大輔…ワールドカップやオリンピックの日本代表、プロサッカー界などで活躍する選手を多数排出した。
「目標も夢もないところから始めたけど、振り返ってみるとよくここまでこれたものだと思うよね。指導者として何もない『白紙』だったことがかえって良かったんじゃないかな」

政 次のテーマに移ります。先ほど松澤先生の話の中に宮崎の例がありましたが、それでは鹿児島のスポーツ環境はどうなっているのかという視点で話を進めてみようと思います。
私のこれまでの取材経験の中では、鹿児島でスポーツする人たちが置かれた環境はあまり芳しいものとは言えないと思っています。例えば県都である鹿児島市には1つの会場で芝生のグラウンドが2面同時に取れるような場所がありません。Jを目指しているヴォルカ鹿児島は自前の練習場がなく、土のグラウンドを転々としている「ジプシー球団」です。そのあたりの現状を前田さんにお話いただきたいと思います。12年間、プロ選手として県外で活動されて、今鹿児島に戻ってきて、色々と思うところがあるのではないでしょうか?

12月9日、第24回あくねボンタンロードレース大会のハーフマラソンに出場した。今年で5回目の挑戦。菜の花のフルマラソンは、調子の良し悪しで記録に変動があるが、ぼんたんは最初の挑戦以降毎年記録を縮めている。前回が1時間33分4秒だったので、今回の目標はズバリ「1時間半を切ること!」だ。
練習は今まで以上にできていたのだが、金曜日は沖縄取材、土曜日の夜は飲み会と、直前のコンディショニングに不安があった。土曜日は、いつもなら2次会、3次会まで行く飲み会を1次会、10時過ぎで切り上げ、天文館から家まで歩いて帰り、早めに寝た。当日は5時過ぎ起床、5時半に阿久根に向けて出発。体調はすこぶる良くて、ベストな走りができる状態ではありそうだ。
考えていたのは二つ。リラックスして、体を大きく使うこと。走る前には、この前取材で教わった「ゆる」体操やストレッチングを入念にして、心と体をリラックスさせることを心掛けた。毎年ぼんたんは晴れる日が多く、きょうも晴天に恵まれ、寒さもそこまで厳しくなく、アップの段階で手袋がいらないぐらいだった。
※先日のあくねボンタンマラソンの体験記です。

政 今回、このパーティーは「鹿児島のスポーツを盛り上げよう。スポーツで鹿児島を盛り上げよう」という趣旨で企画してみました。パーティーの中でどんなことをやったら盛り上がるのか思案し、鹿児島で現在、スポーツについて取り組みをされていらっしゃる方々を集めてシンポジウムをしてみてはどうかと考えました。
シンポジウムはサブタイトルに「もっと身近にスポーツを」と掲げています。学校体育、企業スポーツが主流の日本では、大人になるとスポーツと関わる場が極端に少なくなってしまいます。スポーツの問題点を考えていく中で、スポーツを自分のものとして感じられない、自分とは別世界の存在と思っている現状があるんじゃないかと考えました。今から壇上のパネリストの方々がそれぞれの取り組みについて話をされます。会場に集まった皆様は、パネリストの話に耳を傾けて、スポーツをもっと身近に感じてもらえればと思います。
ではまず、パネリストの皆さんにあいさつを兼ねて、それぞれの活動は鹿児島の人たちに何をもたらしてくれるものなのか、お話ください。

2004年5月17日は、私にとっては大きな、そして鹿児島のスポーツ界にとっては小さな節目として、忘れられない日になると思う。処女作「地域スポーツに夢をのせて」の出版を記念し、鹿児島市のサンロイヤルホテルで「鹿児島のスポーツを語る夕べ」と題したパーティーが開催された。
※当サイト管理人・政純一郎が処女作「地域スポーツに夢を乗せて」の出版記念パーティーで開催したシンポジウムを再現します。3年前の出来事ですが、鹿児島でスポーツに携わる人たちが競技を越えて「鹿児島のスポーツを盛り上げ、スポーツで鹿児島を盛り上げるためには何をすればいいのか?」を真剣に討論した記録です。
~鹿屋体大女子バスケ部躍進の秘密

鹿屋体大女子バスケットボール部の躍進が近年著しい。全日本学生選手権では2004年3位、05年準優勝、06年6位と立て続けにベスト8以上の成績を残しており、今年のユニバーシアードでは吉田舞選手、出岐奏選手の2人が代表入りするなど、近年学生日本代表選手を多数排出しており、西日本屈指の強豪校へ成長した。関東や関西、東海など都市圏の大学が伝統的に上位を占める大学バスケット界において、九州南端の地方大学の躍進に注目が集まっている。
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