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大高センバツ特集(奄美新聞掲載)
甲子園が「身近に」
大高センバツ出場がもたらすもの

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 「悔しい気持ちも確かにあるけど、鹿児島の代表として地に足をつけた野球をやってきて欲しい。自分たちももっと強くなろうと『スイッチ』が入った」
 昨秋の鹿児島大会準決勝で大島に競り勝った指宿商の若松朋也主将は、大島のセンバツ出場についての正直な心境を語った。

 奄美の四本凌主将は「正直悔しかった」と言う。学校は最も近い距離にあり、部員同士も小中学時代からのチームメートやライバル同士で気心は知れている。互いに切磋琢磨し合っていた「ライバル」が甲子園に行くことに、心中穏やかでないのは察しがつく。
 同時に「打倒・大高の気持ちも強くなった」。例年以上に気持ちを入れて冬のトレーニングに取り組めた。練習試合解禁となる3月8日は大島と練習試合が組まれている。センバツが決まって初めての「対外試合」だが「大高に勝つつもりでやる。勝てば奄高の名前ももっと上がる」とさわやかな笑顔に闘志をみなぎらせていた。
 古仁屋の與島朋浩は「いつも練習試合をしている相手。自分たちにもチャンスはあるんじゃないか」と思った。部員4人、連合チームを組まないと県大会に出ることさえままならない学校の選手にも「甲子園」が身近な存在に感じられた出来事だった。

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 「離島だけでなく、様々なハンディーを抱えたすべての学校に夢や希望を与えたと思う」
 県高野連の佃省三理事長=写真=は言う。1925年春センバツに鹿児島一中(現鶴丸)が出場して以降、約90年の間、鹿児島の甲子園代表校は鹿児島実、樟南、鹿児島商の「御三家」をはじめとする鹿児島市内勢を中心に、薩摩半島の寡占状態が長く続いていた。その歴史に昨春、尚志館が大隅勢初の甲子園を勝ち取って風穴を開け、今春、大島が離島勢初の快挙にたどり着いた。この一連の出来事は、奄美をはじめとする離島ばかりでなく、鹿児島の野球界全体に今後様々な影響を及ぼすことが予想される。大高センバツ出場は鹿児島に何をもたらすのか、考察してみた。


・「共感できるハンディー」

 「もう『言い訳』はできなくなったぞ!」

 鹿屋の山内昭人監督は大島のセンバツが決まった日、そんな言葉で部員に檄を飛ばした。昨年は同じ大隅地区の尚志館が甲子園に出たことで大いに闘争心に火がついた。今度は「同じ県立校、地方の進学校」という「共感できるハンディー」(山内監督)を持った大島が甲子園に行く。「地方だから」「相手が私学だったから」「勉強が忙しかったから」…これまで負けたときに心のどこかで思っていた「言い訳」はできなくなる。「子供たちも本気で野球を頑張る気持ちになったと思います」と山内監督は日々の練習の姿から感じている。
 鹿屋は渡邊恵尋監督の母校でもある。同校出身指導者の甲子園も初めてだ。「お前たちと同じグラウンドで、高校時代に甲子園を目指していた監督が、甲子園に行くんだぞ」。山内監督はそんな言葉でナインたちに刺激を与えている。

・「地元から甲子園」が現実味

 川内商工の松元将志監督は「島の子供たちも甲子園が身近に感じられるようになる。他の学校でも『自分たちも行けるんじゃないか』と思った人は多いのではないか」と話す。かつて徳之島を率いて05年秋に県大会準優勝で九州大会を果たした経験もあり、離島の事情も分かっている。昨秋は2回戦で大島に0―1で敗れた。
 「あのとき勝っていれば、甲子園には自分たちが行ったかもしれない」
 部日誌にそんな言葉を書いた部員もいた。樟南、鹿実、神村学園といった強豪私学の学校が行くときには感じなかった心境だ。
 「これからは地元の学校で甲子園を目指そうと思う子も増えるのではないか」。松元監督も20数年前、高校球児だった頃、地元・鹿屋で甲子園を目指す道を選んだが果たせなかった。強豪私学でなければ甲子園には行けない時代が長く続き、それ以外の学校は、越えられない「壁」に跳ね返され続けた。昨年の尚志館、今年の大島、2年続き、「地元の学校で甲子園」が現実になったインパクトは大きい。「地元で頑張って甲子園を目指す」が、夢物語でなく現実味のある選択肢になった。
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 指宿商は昨秋、九州大会出場を果たしたことで「地元の皆さんが本当に喜んでくれた」ことを内村文彦監督は実感した。今年入学、入部を希望する中学生が十数人いるという。甲子園や九州大会という上位大会に出たことが、地元に与えた影響の一例だ。
 今年、県内の公立高校入試の出願状況で、倍率1倍を超えているのは鹿児島市内がほとんど。地方校は軒並み定員割れを起こしている。少子化、過疎化、市内一極集中の厳しい現実が突きつけられる中、山内監督は「野球は逆の現象が起きている」とみている。各地区に地元からでも上位を狙えそうな学校がある。昨秋の県大会4強は神村学園、指宿商、鹿児島城西、大島、全て鹿児島市外の地方校だった。
 強豪校を選択して甲子園を目指すことも素晴らしい選択肢の一つ。一方で別の選択肢でも甲子園が夢でないことを尚志館と大島が示した。「あちこちにいろんな特徴の学校があって切磋琢磨する。そうやって県全体がレベルアップすることが、鹿児島勢の全国制覇にもつながるのではないか」と佃理事長は考えている。

・甲子園を経験した指導者

 「指導者にとっても楽しみな大会です」と指宿の谷口裕司監督。96年春にセンバツ優勝を果たした鹿実・久保克之監督、94年夏に選手権準優勝を果たした枦山智博監督が、双璧のライバルとしてしのぎを削り、鹿児島の野球を全国区に育て上げた。2人が勇退した現在、県内加盟82校のうち、監督として甲子園を経験しているのは、鹿実・宮下正一監督、樟南・山之口和也監督、尚志館・鮎川隆憲監督、鹿児島工・中迫俊明監督(現川内)、鹿商・床次隆志監督(現喜界)の5人。ここにこの春、神村学園・小田大介監督と大島・渡邊監督が新たに加わる。谷口監督は「どんな野球が全国で通じるのか」に注目したいという。
 どうすれば甲子園に行けるのか? 特に公立の指導者にとっては永遠の課題のように思われたが、鹿屋・山内監督は「渡邊先生が、島の子供たちの力を引き出し、当たり前のことを当たり前にやってセンバツをつかんだ」ことに勇気づけられた。

・子供たちに与えるもの
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 「高校だけじゃなく、小中学生に与える影響も大きいのではないか」
 谷口監督は言う。指宿地区で小学校のソフトボール少年団の指導者と話す機会がある。選手9人を確保するのに苦労しているチームが多く、女子がレギュラーでプレーしているチームも珍しくないという。「地元で頑張ることや、野球が素晴らしいことが子供たちにも伝わる」センバツになることを谷口監督は期待している。

 大島のセンバツが決まった日、沖永良部・知名中の粟ケ窪英樹監督は13人の部員と語り合った。
 「うれしくありません」
 13人中11人が「うれしい」と答えた中で、2人だけがそう答えたという。なぜか?
 「離島から初の甲子園は沖永良部だと思っていたから」
 粟ケ窪監督は、地区大会を突破して県大会に出たこともない中学生が「沖高で甲子園」を自分の夢に掲げていたことが感動だった。「ハンディーはないよね?」。日頃の練習からでも、そんな言葉を掛け合って、まずは春の県大会出場を目指している。

 「甲子園は近くに見えて、遠きところ」

 鹿実・久保監督が02年夏に勇退する際、選手に残した言葉である。甲子園は、簡単に手に届くたやすい舞台ではない。だが、決して叶わない夢ではないと、甲子園への「距離感」が縮まり、身近に感じられるようになった選手、指導者が増えたことも間違いない。
 鹿実、樟南といった名門校は夏に向けて間違いなく巻き返しを図ってくる。「次はうちが!」と本気になってチャレンジするチームも出てくるだろう。鹿児島の野球界は新たな局面を迎えようとしている。
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

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