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育児は「育自」―新米パパの育児日記・第1回
「聖なる戦い」の記録
―それは変わることなく…

151229純大誕生!
 2015年12月29日、政純一郎・恵夫婦の初めての子供となる男の子が生まれた。
 1974年12月18日生まれの僕は、41歳と11日目にして初めて人の子の親になった。名前は純大(じゅんた)。出産に立ち会った。今まで見たことのないような必死の形相で、純大をこの世に送り出そうと全身全霊をかけて戦った妻と、そのサポートをしてくれた先生と助産師さんたちを見ていると、女性が神々しく思え、命の神秘を感じることができた。

 今日中に生まれるだろうと、確信したのは、その日の11時ごろ、甲突川沿いをランニングしていた時だった。27日から出産準備で入院していた妻から、陣痛が始まったのと、持って来て欲しいものを告げるラインと電話があった。声の調子がきのうまでとは明らかに違う。憔悴しているようなトーンが電話越しにも感じられた。
 急いで帰宅し、大掃除のやりかけをすませ、必要なものをそろえる。妻からのラインには「午後1時頃に来れば」と書いてあったが、先に付き添っていた義母から「陣痛が始まってもすぐは生まれないし、長く待たされるだけだからゆっくり出てきていい」と妻からの伝言があった。13時前に家を出た。ガソリンが切れかかっていたので、給油し、どこかで食事をし、頼まれていた買い物を済ませて、14時頃着いても十分間に合うだろうと皮算用していた。
 近くのスタンドで給油し、出発すると車に置いてあった携帯に、義母からのメッセージが入っている。

 「もう子宮口が10センチ以上開いて、生まれそう。買い物は後にして、すぐ来て!」

 慌てて方向転換し、住吉町の今村病院に直行した。気は急いても安全運転は絶対だ。師走で何かと混むことが多かったが、仕事納めのせいなのか、道はすいていて助かった。駐車場に入り、車を停めた。元Vリーガーの妻は背番号が7だったので、何かと7にまつわるものを好む。まるで子供の誕生を祝福するように空いていた7番のスペースに停めて、急いで5階に上がった。
すでにLDRの部屋に移動していた。「うーん」「痛い! 痛い! 痛い!」…今まで聞いたことのないような妻の声が廊下まで聞こえた。部屋に入り、カーテン1枚隔てた家族の待機場に入る。妻の声はよりはっきり聞こえた。姿は見えないが必死で戦っている妻の姿を想うだけで、感極まり、涙腺が決壊しそうになる。
 しばらくして落ち着き、深呼吸をして、僕にできること、やるべきことは何か考えた。付き添いながら「頑張れ!」は禁句と言われていた。「頑張れ」と言われると「頑張っとるわ!」と反発したくなるらしい。それ以外で何か気の利いた言葉はないか。ふと「大丈夫!」という言葉を思いついた。やるべきことを決めたら腹が座った。何があっても、妻と先生や助産師さんたち、そしてお腹の中の純大を信じ、命の誕生の瞬間を見届けようと覚悟が決まった。
 分娩台に横たわる妻は憔悴し朦朧とはしていたが、意識ははっきりして、助産師さんとしっかりコミュニケーションしながら、純大を生み出そうと戦っていた。最初は右手を握る。いざ生まれる瞬間が近づくと、いきみやすくするために両手は台のレバーを握るので、僕は首と肩に手を添えて、「恵ちゃん、だいじょーぶ、だいじょーぶだよ!」と言い続けた。
 「リラックスして」「はい、深呼吸!」「赤ちゃんに酸素を送ってあげましょう」「あごを引いて!」「声は出さないように!」「便を出すような感じでいきんでみましょう」…助産師さんの的確なアドバイスを聞いていると、この人たちを信頼すれば間違いなく無事に生まれると確信できた。いつの間にか、助産師さんのアドバイスを復唱するようになっていた。最近まで観ていたドラマ「コウノドリ」の鴻鳥先生にでもなったような気分だった。

 以前、友人と飲んでいた時に、出産に立ち会うと話をすると「動画は撮らないのか?」と聞かれた。近頃では出産を前にビデオカメラを買って、誕生の模様を録画する親も多いという。僕は仕事柄、写真の撮影はするが、動画は門外漢。妻にも聞いてみたが、あまり乗り気ではない。写真を撮るために、仕事で使っている一眼レフは持って行ったが、ビデオカメラは購入もしなかった。どうしても動画が必要なら、スマホで撮ればいい。
 いざ、実際に出産直前の現場に立ち会うと、なるほどこの姿を動画で残しておくのは、大きな意味があるように思えた。徐々に間隔が短くなる陣痛に必死で耐えながら、子供を生もうとする。それは女性だけにしかできない「聖なる戦い」だ。いつか子供が物心ついたとき、実際の姿を見せてあげるのは、親子の絆を深めたり、命について考えるこの上ない「教材」になるだろう。
 ポケットに入れておいたスマホに手をかけ、動画モードで撮影したい衝動に駆られたがやめた。人間のこざかしい知恵で作り出した便利グッズを、この聖なる戦いに持ち込むのは何か恐れ多いような気がした。僕は物書きだ。その姿は心にしっかり心に刻んで、文章に書き残しておこう。

 度重なる陣痛とリラックスを交互に繰り返し、間隔は徐々にアップテンポになっていく。最も力強く、憤怒の形相でいきんだ直後、赤黒い塊が妻のお腹越しにはっきり見えた。間髪入れず「オギャー」と泣く産声がはっきり聞こえた。黄色っぽい羊水と赤い血にまみれてはいたが、確かに人間のかたちをしているのが分る。それまで冷静を保っていた僕の涙腺が決壊した。純大がこの世に生を受けた瞬間を、確かに見届けることができた。
151229へその緒を切る
 助産師さんからはさみを渡された。へその緒を切るのは父親の役目と、あらかじめ夫婦で決めていた。妻を担当した助産師さんによると、彼女が担当した出産で、これまでに立ち会った夫のうち、3人が血を見て失神してしまったという。血を見るのは決して好きではないが、鴻鳥先生気分だった僕は、まるで作りかけのソーセージのようだったへその緒を冷静に切ることができた。

 誕生日は2015年12月29日、生まれた時間は13時56分、身長は51.3センチ、体重は3610グラム…純大にまつわる様々な「数字」を心に刻む。担当の福元先生からは「2と9で『福の日』だね」と言われた。3050グラムで生まれた僕よりもはるかに大きく、3720グラムだった妻よりは少し小さい。7好きの妻にとっては「9から2を引けば7」であり、「9と2を足した11」は高校時代の僕の背番号、きょうは大安吉日…純大はきょう生まれるべくして生まれたのだと確信できた。

 「まだ実感はわかないけど、これからジワジワとくるんだろうね」

 出産の感想を妻はそう話していた。予定日の来年1月4日からは1週間早く、妻の出血が多少多かったが、母子ともに健康で、無事に生まれたことが何よりだった。
151229純大誕生!02

 落ち着いたら、お昼を食べていなかったことを思い出し、外に出た。食事をして車の中でカーステレオをつけ、長渕剛の「NEVER CHANGE」をかけた。この曲を知ったのはだいぶ前だが、自分の子供が生まれたら真っ先に聴こうと決めていた。

 ただ続くだけでいい
 今まで生きてきた人生(みち)
 血はめぐりめぐって
 それは変わることなく


 最後のサビの歌詞が心に響く。この世に人間という生物が誕生してから、なんびとも等しく、同じやり方で一組の男女からこの世に生を受けた。僕は自分の両親から、恵はその両親から、その両親はそれぞれその両親から…太古の昔からただ続いてきた営みの中で、血はめぐりめぐって僕と恵が出会い、純大が生まれた。そのことがとても尊く、敬虔なものに思えた。
 それは変わることなく、純大にも受け継がれ、やがていつか純大も誰かとめぐり会い、命のバトンが受け継がれていくのだ。僕はその字のごとく、「木」の上に「立」って「見」守る親でありたい。
 「育児は育自」。フェイスブックでメッセージを寄せてくださった方から素晴らしい言葉をいただいた。純一郎と恵、新米両親、気負うことなく、純大と一緒に成長する気持ちで日々を積み重ねていこうと思う。

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テーマ:幸せなひととき - ジャンル:結婚・家庭生活

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