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この人に聞く・長谷川氏・下
逆境をプラスに変えるメンタリティー・下
長谷川健志氏(男子バスケットボール日本代表ヘッドコーチ)
「夢を持ち、思い続けること」

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 【メモ】はせがわ・けんじ 1960年4月4日生まれ。1989年に青山学院大監督に就任し、インカレ優勝を含めファイナル4進出7回、関東大学リーグ優勝5回、関東大学選手権大会優勝5回、全日本大学選手権大会優勝4回のチームに成長させた。日本学生選抜監督、ユニバーシアード日本代表コーチなどを歴任。07年の夏季ユニバーシアードでは代表監督を務めた。14年男子日本代表監督に就任。

 2020年は東京五輪の後で鹿児島国体があり、それに向けてバスケットも盛り上げようとしています。外から見ていて鹿児島のバスケットについて思うことやアドバイスなどはありますか?

 長谷川
 他県に比べて、能力が劣っているという印象はありません。鹿児島教員クラブの時代からレノヴァまで、いろんなことがきちんと継続されているという印象を持っています。
 大事なのはこれからでしょう。鹿児島で育った小中学生が県外になるたけ県外に出ていかないように、彼らが夢を持てるようなチームを作っていく必要があります。
 レノヴァの試合も何度か見たり、青学にいた頃、2、3月に鹿児島に合宿に来ていて韓国の延世大やレノヴァと練習試合をしたこともあります。決して恵まれているわけではない環境の中で、一生懸命ひたむきに取り組んでいる姿勢は伝わってきます。むしろ、今ぐらいの意識で高校、大学時代にバスケットをやっていたら、もっとうまくなっていたのではないかと思うぐらいです。

 青学も以前は弱小チームだったとうかがっています。

 長谷川
 20数年、青学で指導をしてきましたが、僕が就任したころは、関東大学リーグで1部の下か2部の上あたりのチームでした。青学がインカレで優勝することを想像していたOBもいなかったでしょう。環境的にも良い選手がとれるわけでもなく、練習場も満足に確保できず、学校の協力も最初は全面的に得られないなど、無い物尽くしの時代でした。そんな中から1つずつ、課題や目標をクリアして、今があります。
 夢を持ち、思い続けることは何より大事です。思い続けるだけでなく、それを目標に変えていく。僕は監督に就任した時、40歳までにインカレで優勝すると期限を区切りました。優勝して「もういいかな」という気持ちが芽生えると、案の定、2部に落ちてしまいました。もう1回優勝を掲げて2度目に優勝したのが47歳の時です。
 人間とは不思議なもので2度優勝すると「もう1回優勝したい」という気持ちが芽生え、3度目が50歳の時でした。それからようやく安定して全国上位の成績を残せるようになりました。
 40代で大学3冠、50代でも3冠をやって、実は60歳が東京五輪の年なんです(笑)。それを僕のラスト人生にできれば最高だなと夢を描いています。

 監督になった頃を振り返ると、誰からか頼まれてなったわけでなく「自分が見なければ強くならない」という気持ちで監督になったので、人や組織に対してないものに対する要求はほとんどしませんでした。
 僕が学生だった頃の青学は、ずっと指導力のないOBが監督をしていて、その人に頼っている時代がありました。勝てないなら勝てない理由がある。僕が4年で主将になった頃、それを変えようと、主将を投票制にしたり、自分たちで考えて、やれることに取り組みました。ただ変えようとお題目を唱えるだけでなく、勝つために何をしなければならないかを紐解いていく作業をやりました。それも上の人がいなくて、自由にやれる環境だからこそできたのだと思います。卒業して3年後、再び監督として戻ってきたときにも、いろんな人のアドバイスを受けたり指導法の勉強はしても、頼れるものはなく最後は自分で決めなければならないという気持ちがすごく強かったです。
 無理なことは無理だけど、できることは突き詰めていく。例えば合宿所がないのは大きなハンディーだけど、裏を返せば自分の時間を自由に持てることであり、早く自立できるのではないか。人数は少ないけど、その分、試合の経験は多く積めるし、指導者としてはコミュニケーションがとりやすい。人数が少ない方が組織としてまとまりやすいものです。ハンディーと思えるようなことも、なるべく良い風に考えるようにしていました。
 監督の仕事は決して楽なものではないし、しんどいこともたくさんあるけれども、究極は「楽しい」と思ってやらないと、成功しないと思います。僕は今55歳ですが、中学1年から始めたバスケットに未だに関わっており、それを「生業」にできている。そういうことができる人は、日本に数%しかいないのではないでしょうか。年1回、中学の同窓生に会うのですが「あの頃と、変わらないよね」と毎回言われます(笑)。そう考えると幸せな人生だとつくづく思います。

 20数年前、青学で監督になった頃は、環境的には何もないところでした。自分の着替えをするところもなく、選手と一緒に部室で着替えるわけにもいかないので、駐車場のそばで着替えていたことを思い出します。
 大変なことはいろいろありましたが、自分の周囲にいる人たちが応援してくれました。今、青学の環境はその頃と天と地ほどの差があるほど良くなりました。体育館は2つ自由に使える。成績に関係なく、良い選手が毎年3人は獲れる。僕が監督になった頃を100点満点の30点とすれば、今は90点ぐらいのものが整うようになりました。

 16年はリオ五輪の最終予選に日本が進出します。どんな戦いを考えていますか?

 長谷川
 直近の最終予選を振り返ると08年の北京、12年のロンドンで、アジア勢は2カ国ずつが出場しています。韓国が2回連続、レバノンとヨルダンが1回ずつです。予選リーグをそれぞれ2試合、この2大会でアジア勢は計8試合を戦っていますが、戦績は0勝8敗です。韓国が08年にカナダに2点差で敗れたのが一番競った試合で、あとはどんなに競っても30点差、下手すると50点以上差がついた試合もあります。それがアジアと世界の現実です。
 今度の大会に掲げる大きな目標は「五輪の出場権をとる」ことですが、それがかなわなかったときに、もっと現実的な目標を掲げなければいけません。そんな話をすると、よくメディアの人から「夢が小さいですね」と言われますが、現実を見据えずに大風呂敷を広げても、それで五輪に行ける保証はどこにもありません。選手たちには「1勝を挙げること」を現実的な目標で話しています。
 最終予選にはフランスやセルビア、14年のワールドカップで2、3位のチームがヨーロッパ予選で負けて出てきます。現時点(※インタビューをした15年12月)で15カ国の出場が決まっていますが、その中でも日本のランキングは最下位です。16年7月にある最終予選には18カ国が出場し、6チームずつのリーグ戦でトップをとった3チームがリオ五輪に出場することになります。
 日本は06年に大阪で開催された世界選手権に開催地として出場して以来、「世界」と名の付く大会に出ていません。この10年間、アメリカやヨーロッパ、アフリカといった世界と一度も対戦できなかったチームが、今ようやく世界と戦う舞台に上がったわけです。この大会にはNBAの選手たちも普通に出てきます。日本にとってはここを勝ち上がるのは相当高いハードルと言わざるを得ません。
 たとえ1勝という目標が達成できなかったとしても、世界を目の当たりにしてこようと思います。たとえぎゃふんとされたとしても、最後まで戦い抜き、悔しさも含めて次につながる何かをつかんで、再出発できるものを身につけてきたいです。だから、この大会に出るのは、打ちのめされることも含めて、楽しみです。

 世界で戦っていく中で、日本の優位性をどこで示そうとお考えですか?

 長谷川
 私が常々話しているのは、「脚力」です。バスケットの動作はあらゆる運動の中で理にかなっていません。走って、ストップして、ジャンプして、2歩しか動けなくて、ピボットをして、体重の移動があって…これらを可能にするために必要なのが脚力で、これがベースになって技術が作られていく。それは単純なスピードとか、ジャンプ力とか、持久力ではなく、昔でいう「足腰の強さ」のことです。それらは身長とか、体格差ではないものから生まれてくると考えています。
 今の日本チームの平均身長は193センチです。世界に出てくるチームはどんなに小さくても198センチぐらいはあり、2mを超えるチームもざらにあります。登録12人の中に最低5人、下手すれば8人ぐらいは2m以上の選手がいる。中には3人ぐらい2m10センチを超える選手もいるようなチームが相手になってくるのです。
 1984年のロス五輪の映像などを見ていると、その頃のアメリカと今の日本が対戦しても、そこそこやれるんじゃないかと思えます。その頃のバスケットは3ポイントもなかったし、身体接触も今ほど激しくなかった。この30年間で違うスポーツになってしまったのではないかと思えるほど、バスケットという競技自体も変化してきました。
 16年の最終予選に、うまくいけば日本チームも12人中5人は2m以上をそろえられそうな状況です。それでサイズ的なものもある程度カバーできるのではないかと思っています。

 小さなチームが大きなチームとどう戦うか。永遠の課題ですね。

 長谷川
 どうしても捨てなければいけない部分は出てきます。バスケットは相手を0点に抑えなければいけないスポーツではありません。相手に70点取られたら、どうやって71点取るかを考えればいいということです。
 そのためには、まずは脚力も含めたフィジカルの強さが求められる。チームとしての戦術も練っていかなければならないし、個人の技術も伸ばしていかなければいけません。先ほど話したアドバンテージになりうる「シュート力」も必要です。
 今僕がチームで掲げているのは3ポイントの成功率40%以上です。それも大差がついた試合ではなく、競った試合の中でそのぐらい決めなければアドバンテージにはできません。14年のアジア大会の成功率が43%で、ナンバーワンでした。そのぐらいが普通にできるようになれば、世界と戦う可能性が見えてくると考えています。
 3ポイントもアテンプトが少なければ意味がない。10本打って4本決めるではなく、最低でも25本打って、12、3本決める。3ポイント12本で36点、フリースローが8点、2ポイントを20本決めて40点、そんなゲームができるための、戦術やメンバーを考えるのが代表監督の仕事です。

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 指導論から、日本人論、世界と戦う意気込みと実に貴重な話を聞くことができた。日本のバスケット界が逆境だからこそ、自分に大役が回ってきた。あえて火中の栗を拾う中で、決して大風呂敷は広げず、自分たちの現実を冷静に見極めながら、何ができるのかを一歩ずつ愚直に地道に積み上げていく。そんな「長谷川ジャパン」なら16年の世界最終予選がたとえ惨敗に終わったとしても、今後につながるものを持ち帰ってくるだろう。それらは16年秋から始まるBリーグにとっても貴重な財産になるはずだ。
 鹿児島もそのメンタリティーから学ばなければならない。鹿児島だからダメなのではない。鹿児島だからこんなことができるというものを自分たちで見つけ出し、育てていくことが、今求められている。

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テーマ:バスケットボール(日本) - ジャンル:スポーツ

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