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年中夢求第29回
上原美幸が「いつもの美幸」であり続けた夜
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 リオ五輪の陸上女子五千の予選があった8月16日の夜、鹿児島市天文館のちゃんこ番「玉の杉」では、予選第1組に登場した上原美幸(鹿児島女高卒、第一生命)を応援すべく、彼女の出身チームであるSCCのメンバーら40人あまりが集い、パブリックビューイングで上原に声援を送った。上原は15分23秒41、第1組7位で、見事決勝進出を果たした。SCC設立16年目にして初めて誕生した出身五輪選手の快挙を、40人あまりの仲間たちと共有することができた

 午後8時過ぎ、甲突河畔であったランニングクラブの練習を終えて、会場に駆け付けた。美幸については鹿児島女高時代、県大会や南九州大会で何度も取材している。7、8年前の皇徳寺中時代は、SCCの長距離部門の練習で一緒に走ったことも覚えている。まだ陸上を始めたばかりだった頃、大人の我々がスピードを上げると必死で食らいついてきた。高校時代もそうだったが、話をすると、とてもアスリートとは思えないほどおっとりと大人しい感じの子なのに、いざレースに臨むと人が変わったように負けじ魂を発揮する。「レースになると『侍』が宿ったようになる」とSCC理事長の太田敬介さんは言う。中学時代に都道府県駅伝で「全国デビュー」して以来、我々を何度も驚かす実績を残してきたが、こんなに早く、世界が注目する五輪のレースを、まるでサッカーW杯の日本代表を応援するようなパブリックビューイングで応援する日が訪れるとは夢のようだった。
 レースが始まるのは日本時間の午後9時半頃。それまでは飲食をしながら、美幸が全国デビューした11年の都道府県駅伝と、13年の同大会で、高校生ながら1区で区間賞をとったDVDを鑑賞した。今回の五輪で同じ5000m代表の鈴木亜由子ら、大学・社会人の有力選手を相手に、スタートから臆することなく先頭に立ってレースを引っ張って堂々と区間賞を勝ち取った。「格上の選手が相手でも強気で前に出る。こんなレースをきょうもやって欲しいんですよ」と中学時代に指導したクラブマネジャーの竹内良人さんは言う。
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 レースの中継が始まり、美幸の姿がテレビで映ると40人の歓声と拍手が起こった。観客席の日本人選手を応援する日の丸の旗が映った。この中に間違いなく我々SCCのメンバーが寄せ書きした旗もあるに違いないと思うと、地球の裏側のはるか彼方のリオのマラカナンスタジアムとつながっているような気がした。
 サングラス越しだったが、緊張することも臆することもなく、またガチガチの闘争心をむき出しにするわけでもなく、我々の知っている「いつもの美幸」のように見えた。スタート位置は最も内側。竹内さんが描くスタートから先頭に立って走るには絶好の位置だ。一度スタートしてやり直し。「自分がフライングしたかも…」とレース後のインタビューで美幸が話している。つまり自身もスタートから積極的に前に出て走るつもり満々だったのだ。
 そして、我々の期待通り、世界の強豪選手たちを相手にスタートからトップを走った。集団の頭ではなく、集団のはるか前方にいる。1000mのラップは3分を切るぐらい。一か八かの捨て身の戦法で前半だけを飛ばしたわけではなく、レースプラン通りの走りに思えた。2000m、3000mと距離が進み、後方の集団との差は徐々に詰まってきたがトップであり続けた。3500m付近で追いつかれたが、そこからが美幸の真骨頂の「粘り」を見せた。追いつかれてズルズル後退するのではなく、何度も何度も先頭グループに食らいつく。最終順位は7位で、無条件で決勝進出する5位以内ではなかったが、6位以下プラス5人で決勝に進める可能性は間違いなくあると確信させた走りだった。

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 スタートすると、恒吉和輝コーチが松岡修造並のテンションで音頭を取り会場の全員で「ミユキ」コールと手拍子を繰り返した。日頃、陸上を取材するときはカメラで撮影しながらの観戦なので声を出すことはほぼないが、今回だけは会場の仲間たちと心を一つに「ミユキ」コールを送り続けた。残り3周、ラスト1000m、2周、100m…ゴールまでの距離が縮まるごとに「行け! 行け!」と絶叫していた。こんなにも1人の選手の走りだけに集中し、応援したのは初めてかもしれない。
 美幸のタイムは15分23秒41。ベストタイムではないが「いつも通りの美幸。最高の美幸の走りをしてくれた」と竹内さん。第2組が走っている間は、6位以下の選手のタイムだけを注視しながら観戦していた。同種目の日本人選手の決勝進出は、96年のアトランタで4位入賞した志水見千子以来、20年ぶりの快挙だということは、後にネットで知った。

 「五輪の舞台に立てるだけでも本当にすごい」と太田さんも感無量の様子だった。太田さん自身は100mの選手だった。本気でシドニー五輪を目指した00年に、所属する実業団チームが突然の休部を発表して夢を断念。これまでの日本のスタンダードだった「企業スポーツ」「学校体育」ではなく「地域に密着したスポーツの在り方」を模索し、「スポーツ・コミュニケーション・サークル」=SCCを立ち上げた。あれから16年経ち、SCC出身の選手が太田さんの果たせなかった「日の丸をつけて五輪を走る」夢をかなえたばかりでなく、世界の女性ランナーの15人しか走れない決勝の舞台を勝ち取ったのだ。
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 「今回の陸上で、僕が本当に尊敬できるのはボルトと山縣と美幸」と太田さん。この3人に共通するのは五輪という世界最高峰の舞台で「いつも通りの自分」であり、最高のパフォーマンスをやってのけた点だ。今回の5000mで美幸が出した15分23秒41よりも速く走れる女子選手は、世界はおろか日本中にもいるだろう。しかし4年に1度しかない五輪で、国の代表の座を勝ち取り、その予選で決勝に残れる力を発揮できたのは、世界で15人しかいない。それがいかに難しいことであるか、現役時代、その世界を目指していた太田さんには分かる。ボルトは五輪の100mで3連覇し、09年の世界選手権で9秒58の世界記録を打ち立てた。山縣亮太も決勝こそ逃したが、リオの準決勝で日本人過去最高の10秒05で走った。それらに全く引けをとることなく、上原美幸もまたあの舞台で「いつも通りの美幸」であり続けたことに、太田さんは賛辞を惜しまなかった。

 パブリックビューイングの場は歓喜と歓声に包まれた。帰宅してフェイスブックをチェックすると、この場に来られなかったSCCの仲間や、鹿児島の陸上関係者の多くがテレビ画面を写メして、応援に熱狂した様子を伝えていた。あの場にいた仲間たちだけでなく、SCCと陸上でつながっている人たちと同じ興奮と感動を共有できたことが、私は何より嬉しかった。美幸の走りは、多くの人をつなげ、大きな輪を作った。SCCの理念そのものの体現してくれたように思えた。

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テーマ:陸上競技 - ジャンル:スポーツ

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