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育児は「育自」―新米パパの育児日記・第6回
子供同士が仲良くなるとき
夏休みの思い出

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 ようやくハイハイができるようになったのは、月齢9カ月を目前に控えた9月22日だった。
 秋の高校野球の開幕日で、夜は男子プロバスケットボールのBリーグ開幕戦がフジテレビ系列で生放送されるというので、バタバタと早めに仕事を片付けて、歴史的な開幕戦を見ようとしていた時だった。「寝返り」からなかなかハイハイができなくて、やきもきしていたので、嬉しかった。日本のバスケット界が新しい一歩を踏み出した日に、息子が自分で動けるようになったというのも感慨深い。
 一度コツを覚えれば、あとは自由にどこへでも行こうとする。つかまり立ちもあっという間にできるようになった。どこかへ行こうとすれば必ず親の力が必要だったのが、自分の行きたいところへ、自分で行ける一歩を踏み出した。これが「親の手を離れる」ことなのかと思うと少し寂しくもあった。


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 ハイハイができるようになって1カ月あまりが過ぎたが、家の中で神経をすり減らす時間帯が急激に増えた。ほっとけばどこへでも移動するし、立ち上がれそうな場所を見つければ、立とうとする。食事用の高椅子も目を離したスキに立ち上がるので危なっかしい。妻や私が何度も厳しく注意しても聞く耳持たず、無理やり座らせれば泣き出す始末。たまに私が家で面倒をみる際も、動けないうちは目の届くところで転がしておくか、抱っこ紐を使えば、他の作業ができたが、今はかかりきりにならざるを得ない。眠ってくれているときは貴重な作業時間であり、息子の寝顔が「天使」に見える(笑)。
 これも、自分が移動できるようになったうれしさ、見るもの聞くものすべてが新鮮で興味津々、好奇心旺盛な赤ちゃんの特徴であり成長のあかしである。ただ、親としては「手が離れる」どころか「余計に手がかかる」ようになったのは間違いない! 9月末から10月初旬にかけて、高校野球期間中、球場にいると育児を忘れて仕事に専心できてホッとするという奇妙(?)な感覚があった。

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 8月2日から6日まで、妻の兄・伸義さん、奥さんの啓子さん、長男の翼君、3人が東京から帰省した。うちの家族と一緒にかごしま水族館を見学したり、1泊2日で指宿に泊まった。行く途中で平川動物公園に立ち寄り、唐船峡でそうめん流しを食べた。指宿では宿泊したホテルのプールで遊んだり、温泉に入った。いわゆる「夏休み」を満喫することができた。
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 「家族で行楽地に行く」という体験がものすごーく新鮮だった。考えてみれば、そんな体験が日常だったのは中学生ぐらいの頃までだろうか。親としての「行楽地デビュー」は20代後半から30代が一般的だろうが、その頃の私は仕事していたか、マラソン走っていたか、野球をやっていたか、友人・先輩・後輩と飲んでいたか…そんなことばかりやっていたので、「行楽地で遊ぶ」という感覚が抜け落ちてしまっていた。これからはこういう機会もどんどん増えていくのだと思うと楽しみだし、そういった楽しみを子供に与えられる親にならなければと背筋が伸びる。
 小学2年生の翼君がよく息子の面倒を見てくれた。翼君にとっては初めて「弟」ができたようなものだ。写真を撮ったり、布団で一緒にゴロゴロしながら寝返りの練習に付き合ってくれた。1回しか寝返れなかったのが、コロコロ複数回転がれるようになったのはこの頃だったと思う。おそろいの洋服を買ったり、息子用のおもちゃを翼君が選んでくれたりもした。
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 11月の頭に妻が東京出張した際には、息子も連れていき、3日間、伸義さんの家で預かってもらったという。このときも翼君は喜んだそうだ。楽しそうにしている2ショット写真が何枚かラインで送られてきた。

 ふと自分の小学生時代を思い出した。政家の従兄弟の中で最初に生まれたのが私だった。2つ下の弟は遊び相手でケンカ相手だったが、7つ下の従兄弟ができた頃から、身近に赤ちゃんがいる環境が数年間途切れずにあって何かワクワクしたのを覚えている。小学5年生で一番下の弟が生まれたのは、本当に嬉しかった。新しい家族が増えて家の中の雰囲気がとても明るくなった。赤ちゃんには人の心を前向きにする不思議なエネルギーがあるのだろうか。息子に興味津々な翼君を見ながら、30年以上前の自分の小学生時代を思い出していた。

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 4日の夜は、うちの両親と弟一家も参加して、実家でやっている伊敷のカラオケボックス「ビッグバン」でパーティーだった。
甥っ子で小学1年生の遥翔君と翼君はほぼ同世代である。大人としては仲良くなってくれると嬉しいのだが、子供同士打ち解け合うには少々時間がかかる。何か「きっかけ」が作れないか思案していた。
 私が遥翔君と格闘ごっこをはじめると、うまい具合に翼君も絡んできた。遥翔君の弟・光翔君も加わり、3人がかりの取っ組み合いが始まればしめたものだった。それからあとは3人でカラオケしたり、おしゃべりしたり、子供たちだけの世界を作っていた。共通の「敵役」ができると子供たちは自然と仲良くなる。
 小学生の頃、夏休みに遠い親戚の大吾兄ちゃんと遊んだことを思い出す。うちの祖父母と、大吾兄ちゃんの祖父母がともに奄美出身の親戚同士で、今住んでいるところも同じ新屋敷町の近所という間柄だ。どういう血のつながりか、家系図を書いてみないとよく分からないのだが、当時京都に住んでいた大吾兄ちゃんは夏休みの約1カ月間は鹿児島の実家に滞在していたので、歳の近い私と弟と3人でよく遊んだ。
 一度仲良くなっても1年合わないと、よそよそしくなるのだが、やはり共通の「敵役」を見つけて仲良くなっていたような気がする。その時の「敵役」は新屋敷の実家に住み込みで働いていた誠兄ちゃんだった。人の良い誠兄ちゃんに3人でちょっかいを出して、しばらく遊び相手になってもらったら後は3人で自然に遊べた。一度、誠兄ちゃんのサーフボードを勝手に持ち出して、近くの甲突川に遊びに行った。休憩してからまた遊ぼうとボードを置いたままその場を離れ、しばらくして戻ったらボードが流されて行方不明になったというとんでもない悪さをしたこともあった。誠兄ちゃん、本当にごめんなさい! この場を借りて謝ります!

 お盆の頃には大吾兄ちゃん一家が来鹿して、やはり「ビッグバン」であった政家のホームパーティーに顔を出してくれた。40歳を超えてお互い家族を持ち、「おやじ」になってからは初めての再会である。昔、戦隊シリーズで「太陽戦隊・サンバルカン」にはまって3人で「サンバルカンごっこ」をやったことなど、思い出話に花が咲いた。大吾兄ちゃんが赤のイーグル、私が青のシャーク、弟が黄色のパンサーだった。「サンバルカン」の歌を弟が熱唱したのには大うけだった。
 20年後、30年後、翼君や遥翔君、光翔君が大人になってそんな会話ができるような関係になってくれると嬉しい。息子にはまだ少し早いが、やがてはそうやって家族以外の友達をたくさん作り、良い思い出をたくさん作って欲しいものだ。

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