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「頂点」と「地域密着」と(奄美新聞正月特集)中
出水体操クラブの挑戦
小さな練習場から始まった物語・中

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・90万キロ、地球を20周以上

 練習場が完成してかられいめいの教員を辞めるまでの22年間は、毎朝6時に出水を出発、午後5時に帰宅して練習の日々だった。車は6台乗り換えて「遠征にもこれを使っていたから、走行距離は90万キロ、地球を20周以上走ったことになるかな」。

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 この間で残した実績は03年から07年まで5年連続でインターハイ団体入賞を果たし、04、06年には3位と全国上位の成績を挙げた。10年には長野託也がつり輪でインターハイ、国体、全日本ジュニアの全国3冠を達成している。このほかインターハイでは92年に阿久根健が鉄棒、跳馬で2位、98年に能勢龍二がつり輪で2位、04年に川野貢太が個人総合3位。05年の全国選抜で圭成が個人総合3位、つり輪で2位、06年インターハイでつり輪3位など個人でも「メダリスト」を多数排出している。

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 長男・憲秀(85年生まれ)、次男・圭成(88年生まれ)=写真=も高校時代は個人総合で県チャンピオンになり、全国の舞台を経験している。もの心ついたころから「自宅のすぐそばに練習場があり、体操部のお兄ちゃんたちと生活を共にしていた」(圭成)。
 憲秀も、圭成も自宅に自分の部屋はあったが、高校時代はチームメートと同じく、合宿所で生活していた。親が強制したわけでもなく「特別扱いは嫌だった」(圭成)と2人とも自ら進んで合宿所に入った。
 れいめいの監督として長年実績を残してきた俊一だったが「自分の跡を子供に継いでもらおうとは特に考えていなかった」と言う。憲秀は日大、圭成は筑波大に進学し、体操選手を続けたがその後の進路に関して、親の跡継ぎを強制するつもりは全くなかった。
 「自分が跡を継ぐ」と圭成が意識したのは大学の頃だった。初めて関東に出て、大学だけでなく、いろんな体操クラブを見る機会があった。知らず知らずのうちに、もの心ついた頃から、当たり前にあった自身の環境と比べていた。「選手のために自らここまでのものを、ゼロから作り上げた指導者は他にいない」と思えた。「これを続けていくことに意味がある」と自らの進路を定め帰鹿した。還暦を目前に「跡継ぎ」も出来、俊一には悠々自適のリタイア生活が待っていると思えたが、描いた通りにはいかなかった。

・れいめいから出水商へ

 14年かられいめいが男子体操部の特待生募集を止めた。少子化で生徒募集が年々厳しくなる中、私学経営の厳しい現実があった。学校の事情は理解できた俊一だったが「鹿児島の体操が今後どうなるのか?」についての危機感があった。
 20年には鹿児島国体がある。れいめいで築き上げた「システム」がなくなってしまえば、鹿児島の体操の競技レベルが下がってしまうことは日の目を見るより明らかだった。長年の実績とつながりで、県内だけでなく、県外からもここで体操をすることを志す選手がいる。彼らの進路にも、俊一は責任があった。
 俊一の考えを理解したのが地元の出水商だった。隣県・熊本からの通学者も多く、県外からの生徒を受け入れてきた実績があった。
 選手は今まで通り練習場で合宿生活。インターハイなどの大会には学校の同好会として出場する。このかたちなら、俊一は今までの積み重ねが継続できると思った。むしろ通学の往復2時間が短縮できる分、新しいことにも挑戦できる。14年から俊一が出水商の監督になり、最後のれいめい体操部員が卒業した16年からは圭成に完全にバトンタッチ。れいめいで築き上げた伝統は、出水商に受け継がれるかたちができた。

・タンマの匂い漂う場所で

 16年11月、出水市の練習場を訪れた。場内は選手が滑り止めに使う「タンマ」と呼んでいる炭酸マグネシウムの独特な匂いが漂う。俊一が一念発起して建てた練習場ができて27年。壁にはれいめい、出水商で勝ち取った数々のトロフィーや賞状が飾られている。タンマの粉でうっすらと白く覆われているところに年季を感じる。

 現在、8人の高校生がここで技を磨く。3年生2人、2年生2人、1年生4人。出身別では鹿児島市が4人、鹿屋市と志布志市が1人ずつ、愛知が2人、千葉が1人。「父から受け継いだものをベースに、自分で学んだことも少しずつ加えています」と指導する圭成は言う。
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 「選手としても、人間的にも大きく成長できた場所でした」と3年生の原口幸大=写真=。長年、高校生だけを受け入れていた合宿に、初めて中1から入ったのが原口だった。中高の6年間をここで過ごし、「出水商1期生」として集大成で迎えた16年は九州総体の個人総合で優勝、インターハイでは跳馬で3位と実績を残した。「1期生の集大成の年に全国でメダルを獲れた選手が出たのは大きい」と圭成。個人総合でも好成績を残したことで、17年の全国選抜大会出場枠を1つ、鹿児島にもたらすことができた。原口は「後輩につなげるものができた」ことを喜ぶ。卒業後は鹿屋体大に進学し、教員として体操指導をする道を志す。選手としては4年生で迎える鹿児島国体を大きな目標に掲げている。
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 原口が持ち帰った選抜の切符をめぐって11月18日にあった県新人大会では、高岡耕平、平山陽太郎の2年生コンビ=写真=が熾烈な首位争いを繰り広げた。どちらも77・70で同点優勝だったが、大会規定により、6種目の最低点を除いた合計得点で高岡が上回り、選抜への切符を手にした。ミスが多くて内容には不満だったが高岡だが「原口さんがとってきてくれた全国大会の出場枠。原口さんのようにチームを引っ張っていけるような姿を全国ではみせたい」と意気込みを新たにしていた。
 平山は名古屋市の石田体操クラブの出身。地元ではなく、1つ上の山崎雅春と同じく、出水までやってきて体操をする道を選んだ。「朝起きたら、すぐに体操ができる」のが、何より魅力的な環境だという。地元の学校に通うとすれば、自宅から電車通学しなければならない。ここなら朝でも夜でも、ふと思い立ったら、いつでも自分で練習ができる。

 内村航平、白井健三らの活躍で、リオ五輪では団体金メダルを獲り、東京五輪に向けても何かと期待が高い日本の男子体操だが「高校で体操を続けたいと思っていても、受け入れ先がどんどん少なくなっている」と圭成は危機感を抱く。
 過去に実績がありながら、体操部がなくなった学校はれいめいに限らず、全国でも多い。中学時代に全国などで実績は残せなかったが、もう少しレベルの高い場所で続けたいと思っても、続けられる場がなくて体操を断念する選手も多いという。
 千葉から来た1年生の今井達也もそんな1人だ。千葉には市立船橋、習志野など全国的な強豪校があるが、そこに行けなかった。進路に悩んでいた頃、たまたま中学時代の順天堂体操クラブで指導を受けていたコーチが鹿屋体大にいて、出水に受け入れ先があると紹介してくれた。「僕は周りに流されやすいタイプ。あのまま千葉に残っていたら、目標もなくただ遊ぶ高校生だったような気がする」。
 今井は1年生でインターハイの舞台も経験できた。仮に地元の強豪校に進んでいたとしても、1年生からインターハイを経験できたかどうかは心もとない。それだけでもはるばる親元を離れてやってきた価値はあったと感じている。「そういった選手たちの『受け皿』になれるような魅力を今後作って、全国にPRしていきたい」と圭成は考えている。(つづく)

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テーマ:体操・新体操 - ジャンル:スポーツ

コメント
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2017/01/02(月) 11:14:46 | | #[ 編集]
Re: 今年もよろしくお願いいたします。
 わざわざありがとうございます! 年末に家族で出水まで遊びに行きました。奄美新聞の正月特集は松本家に送ってあるのでそちらでお楽しみください。今年もよろしくお願い申し上げます。
2017/01/03(火) 07:15:38 | URL | 政純一郎 #-[ 編集]
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