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奄美春秋



※管理人が奄美新聞に書いたコラムです。

 先日、ある殺人事件の論告求刑公判を取材した。被害者遺族が心情を述べ、検察が論告、求刑する。弁護側が最終弁論をして、最後に被告本人が心境を語った。殺人を犯したと疑われる人と、被害者遺族が目の前で対峙している光景を傍聴していると、何ともいえない複雑なものがこみ上げてくる。
 刑事ドラマやミステリー小説ではよく見かける光景だが、目の前で繰り広げられているのは現実の話だ。記事に書こうとすると、パソコンを打つ手も重くなる。メモを読み返し、記憶をたどりながら私情を交えず、客観、中立であろうとするが、何を書いても詰まる所は「私」の取捨選択、解釈が入っていると思うと、何のために自分は書いているのか、根本的なことを問いたくなった。
 刑事事件裁判に一生関わらずにすむ人が大半だろうが、検察官や弁護士、法曹関係で働く人はそこを日常にしている。人同士が争う姿に日々接していると、ときに人間に失望することはないか、知人の弁護士に尋ねると「それでも我々は法というルールに則って仕事をしている。法による秩序が保たれる社会づくりが自分の理想」と答えた。
 では新聞記者が書く理由は何だろう? 知る権利にこたえる、権力の監視、社会正義の実現…どれもその通りだろうが、自分の記事がその役割を果たしたか、はなはだ心もとない。せめて同じ事件を2度と起こさないために、何ができるかだけは考え続けたい。
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テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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