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特別寄稿・松澤隆司さんを偲んで
負けじ魂と「白紙」でいる謙虚さと
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08年1月、筆者が主催した「鹿児島のスポーツを考える夕べ」にて

 2017年8月11日、松澤隆司さんの訃報を聞いた。76歳。鹿児島実高サッカー部を全国区の名門に導き、日本を代表する幾多のサッカー選手を育てた名将の早すぎる旅立ちが惜しまれる。私は鹿実のOBでも、サッカー経験者でもないが、鹿児島新報のスポーツ記者時代から取材などでお世話になり、04年の新報廃刊以降、「鹿児島のスポーツを発信する」仕事をライフワークにするのに大きな影響を与えた「恩師」の1人である。

 最初に話をしたのは新報入社1年目の1998年4月。毎年この時期に新報社の主催で鹿児島と宮崎の新人戦の上位校を集めた高校サッカーフェスティバルがあった。最終日に、たまたま本部席で松澤さんと並んで試合を見ていた。入社して初めてのスポーツ現場取材だったから、緊張すると同時に気合も入っていた。普段の何気ない言葉の中にも全国を制した監督ならではのものがあるかもしれない。それを聞いてみたくて耳を傾けていた。

 「我々の世代の指導者はどうしてもミスしたことを叱ってしまう。本当はいい判断をしてチャレンジしたことを褒めてやらないといかんのだけどなぁ」

 試合中に果敢にチャレンジしてミスをした選手を見ていて、つぶやいた。鹿児島のスポーツ指導者、中でも鹿実などの強豪校は「厳格なスパルタ」だと思っていたが、還暦を目の前に控えた年代で、すでに全国区の実績がある監督が自己反省し「褒める」ことの大事さを語っていたのが新鮮だった。
 無論、松澤さんが選手にとっていつでもものわかりがよく、優しい指導者だったというわけではないだろう。時には手を出すことも辞さない厳しさがあったことは多くの教え子も話している。自分なりの強固な信念がなければ、全国を制するチームなど作れるはずもない。ただ、その強固な信念の裏に絶えず自己反省があり、進化をもとめて「自分は本当にこれでいいのか?」と自問自答しているように思えた。頑固さと柔軟性の両面を備えているところに、鹿実サッカー部の強さあるのではないかと思った。

 その原点は生い立ちや鹿実サッカー部の指導者になった経緯にある。04年に鹿実に関する人物伝を書く仕事の依頼があり、松澤さんに自身の半生を語ってもらったことがある。海軍軍人だった父を戦争で亡くし、母一人子一人で戦後の混乱期を生き抜く中で培った負けじ魂。教員になるつもりなど全くなかったのに、なし崩し的に始まった教員生活とサッカー部の指導。選手権の勝利を祝って関東同窓会から贈られたマイクロバスに感激し、それを駆って全国を行脚しながら鹿実を全国区の名門に育てていった日々…それだけで十分一冊の本になりそうな波乱万丈の物語のほんの一部を聞かせてもらった。
 諸事情で人物伝は書けなかったが、松澤さん自身の物語は「白紙のサッカー人生」と題して「スポーツかごんまNEWS」で連載した。
※この文字をクリック!

 「目標も夢もないところから始めたけど、振り返ってみるとよくここまでこれたものだと思うよね。指導者として何もない『白紙』だったことがかえって良かったんじゃないかな」。

 自らを「白紙」と謙虚に言えるところに松澤さんの偉大さがあるように思えた。自分には何もない。しかし、やるからには負けたくない。だからまずは自分の頭を白紙にして学ぼうとする。その姿勢は私のような若輩者の話をするときでも感じられた。取材にお邪魔しても私が一方的に話を聞くだけでなく、私が話すサッカー以外の野球や、陸上、バスケットボールといった他競技の話を真剣に聞き入り、長時間話し込んだことが何度もあった。

 04年5月17日、処女作「地域スポーツに夢をのせて」の出版記念パーティーのメーンイベントでシンポジウムを開催した際には、パネラーとして壇上に上がってもらった。
※その時の模様はこの文字をクリック!

 鹿実やサッカーに留まらず、鹿児島のスポーツ、鹿児島全体をスポーツで盛り上げていくということに熱い想いを語っていた。それは新報廃刊後、鹿児島のスポーツを発信するメディアを作ることに人生をかけたいと思った私の理想と一致していた。

 「鹿児島のスポーツを考えるなら、鹿児島のスポーツについて考える人たちの組織を行政とは別に作り、考える場を設ける。そして、こういう気楽な場で考えられるような集まりを年に1回は開いて欲しい」

 締めくくりの言葉は、僭越ながら私に向けられたエールだったと今でも思う。気がつけばあれから13年あまりが過ぎた。鹿児島のスポーツ界もだいぶ様変わりした。サッカーでは鹿児島ユナイテッドFCができて、鹿児島にもようやくJリーグのチームができた。バスケットの鹿児島レブナイズはBリーグを舞台に戦っている。だが、スポーツが鹿児島にとってなくてはならない貴重な文化であるというところまで成熟しているとは言い難い。
 私自身も「鹿児島のスポーツを発信する」という活動は一貫して続けているが、「スポーツについて考える人たちの組織づくり」にはまだ着手できていない。「いつかは」と思っているうちに松澤さんが逝ってしまったことに自身の至らなさを省みる。改めて松澤さんの冥福をお祈りするとともに、その遺志を継ぎたいと決意した。

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テーマ:サッカー - ジャンル:スポーツ

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