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育児は「育自」―父ちゃんの育児日記・第10回
「赤ちゃん返り」は成長の証!
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 妻とこころが退院して10日あまりが過ぎた。
 入院している間は寝ている姿しか見られなかったが、ちゃんと目を空けている姿を見ていると愛情も一入わいてくる。夕方の沐浴は私の担当だ。久しぶりだったので忘れていることも多かったが、1度コツを思い出すとスムーズにできるようになった。ミルクをあげたり、おむつを替えたり…母親に比べれば接する時間は短いが、できる世話はやるように心掛けている。




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 母子ともに健康だが、おっぱい飲みがあまりよくないのが入院している頃から心配の種だった。吸う力が弱いために、飲んでいる途中でどうしても眠ってしまう。そのため妻は搾乳して哺乳瓶で与えるようにしている。それでも最初の頃は食がなかなか進まなくて、退院してすぐの頃に体重が3000グラムを切ってしまい、定期的に病院に体重測定に行くことになった。生まれた頃から大食漢であり、食に関しては何の問題もなかった純大と比べると、同じ親から生まれた赤ちゃんでも違うものだとつくづく思った。
 退院して1週間ほどで、食は大分進むようになった。私があげていても、最初の頃は全く吸う気配がなかったが、今では吸っている力を感じる。生きるための本能がちゃんと備わっていることに頼もしさを感じる。生まれてちょうど2週間目となる9月4日に体重測定に行ったら、3410グラムになっていた。順調に増えているので一安心だ。あとは直接吸えるようになれば妻も少し楽になるだろう。

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 こころが生まれてから、私はむしろ純大が気になり、一緒に過ごす時間が長くなった。退院した8月27日の夜、妻の実家で私の両親も交えてささやかな宴会をした。その夜は純大も久々に母親と一緒にいられるので一安心だと思っていたが、前回書いた「赤ちゃん返り」の大泣きがさらにグレードアップしたように泣き出した。力尽きて眠って、朝目覚めたらその続きが始まるということがあった。さすがにそれでは妻の体調によくないと考え、しばらくの間、純大と私は週のうち半分ぐらいは城山の私の実家でお世話になることにした。
 日が経つにつれて純大も落ち着き、いつもと変わらないようにはなってきたが、それでも時折何かで「スイッチ」が入ると手が付けられなくなることがある。
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 妻の実家で過ごす時は、2階で私と純大が寝て、妻は1階でこころと寝る。寝かしつけるときはみんながいないと寝たがらないので、純大が寝るときはこころをお義母さんに見てもらって3人で2階に上がる。寝入ったら妻は下に降りるようにしているのだが、3日の夜はなかなか寝付かず、そのうちにこころにミルクをあげる時間になった。妻が部屋を出ると案の定、純大は泣き出した。
 部屋を出て下に降りようとする。ついかわいそうになって連れていきたい衝動に駆られたが心を鬼にして扉を開けさせなかった。30分ほどして妻が戻ってくると、何事もなかったかのように落ち着いてすぐ眠った。

 4日は午前中から城山の実家で過ごし、丸2日間母親と離れていた。その間は特に問題なく、元気に過ごしていたが、夜中2時頃、何の前触れもなく目覚めて「あーちゃん(かぁーちゃん)」を連呼して泣き出した。そのうち、部屋を出て車庫に通じる階段の前で階下を指差しながら「ブッブー」を連呼し出した。ここを降りれば車に乗って母親の所に行けると分かっているのだろう。何とかなだめすかして部屋に連れ戻し、両親と愛犬・くぅーたろーまで一緒になり、1時間ほどの悪戦苦闘で落ち着いた。

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 私自身、この頃は大分落ち着いて対処できるようになった。「対処」といっても基本的には収まるまで気長に待つ以外の特効薬はない。こういった話をフェイスブックなどで書くといろんな方からアドバイスをいただけるのがありがたい。中でも「赤ちゃん返りは子供が素直な感情を出せている証拠だから良いことなんですよ」というコメントが一番心強かった。「子供に寄り添う気持ちがあればきっと子供も分かってくれる」とも書いてあった。
 その通りだと思う。夜中に泣き止まないのは親や一緒にいる祖父母にとっても心配だし、体力的にもきついけど「子供の成長の証」と思うと不思議と落ち着いて見守っていることができるようになった。泣き止まない純大の背中をさすりながら「こいつも自分を主張し始めたか」と思い、泣き止んだと思ってもまだ声を振り絞って泣こうとする姿に「こんなにも力強くなったか」と感動さえ覚えるようになった。
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 私も長男であり、2歳年下に弟がいる。ちょうど今の純大と同じくらいの頃、弟ができた。母にその頃の様子を聞いてみた。
 40年余り前の話なので母もよく覚えていないが、弟が生まれてから日が晴れるまでの約1カ月は上竜尾町の母の実家に弟といたという。私は新屋敷町の父の実家にいることが多かった。祖父母や、まだ結婚していなかった叔母がよく面倒を見てくれたという。あまり居心地が良かったため、幼い頃の私はむしろ自分の家に帰りたがらなかった。
 もう少し後、4、5歳ぐらいの頃だろうか。新屋敷が自分の家だと言い張り、泣き叫びながら送ってくれた叔父を追いかけて外まで走っていった。その夜、初めて母親が涙を流したことを今でも覚えている。

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テーマ:伝えたいこと・残しておきたいこと - ジャンル:日記

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