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ひと紀行「夢念夢想」第6回・前編
「チームを勝たせる選手になる!」
新天地・青森での決意!
鮫島和人(鹿児島レブナイズ→青森ワッツ)

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 男子プロバスケットボールのBリーグが華々しく開幕した2016-17年シーズンは、鹿児島レブナイズにとっては「苦難」の一言では片づけられないほどの苦渋を味わった1年だった。圧倒的な戦力差を埋められず、黒星が続き、60試合を戦って7勝53敗のダントツの最下位。シーズン終盤には運営会社の経営難が発覚し、B2残留どころかチーム消滅の危機に立たされた。選手、ブースター、様々な人たちがそこから立ち上がり、チーム存続への活動を続けたことが実り、レブナイズは今季、B3から再びB2を目指す戦いの舞台に立つことができた。
 苦渋に満ちた1年を味わった選手たちはその後どうなったか。レブナイズに残り、鹿児島でプレーを続けている選手もいれば、移籍して新天地に活躍の場を求めた選手もいる。「微力は無力ではない」の名言を残した主将・鮫島和人は後者の道を選んだ。1年間で53もの敗戦を経験した鮫島は「だからこそ、今度はチームを勝たせる選手になる!」と強い決意を秘め、青森で悪戦苦闘の日々を過ごしている。(敬称略)


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 「本当はサッカーがやりたかったんです」と意外な過去を明かす。幼稚園でやっていたサッカーが楽しかったからだ。バスケットを始めたのは坂元台小に入学してから。父・俊秀は協会の理事長で鹿児島教員クラブの監督、母・美奈子は当時、ミニバスケット少年団の総監督のような立場にあり、4つ上の兄・康人もバスケット選手となれば、入学と同時に少年団に入るのも必然の成り行きだった。
 「1年生のころ、団内のレクレーションのフリースロー大会で優勝したことでバスケットが好きになりました」。試合デビューは3年生の頃。Wリーグのジャパンエナジー対シャンソン化粧品戦が鹿児島であった際の前座試合に出て、シュートを決めたことを今でも覚えている。1つ下の玉田博人とは家が近所で、暇さえあれば学校で、お互いの家で、1ON1をしてバスケットにどっぷりはまった少年時代だった。
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 「自分にとってのバスケットの原点は鹿教員クとOSGフェニックス」だと思っている。父が監督をしていること以上に、山元晃一、小川崇、岡本研一…その頃所属していた選手たちが「憧れの存在だった」。自分たちの少年団にも時折指導に来てくれて、ハンドリングやドリブルなど基本的な技術は彼らに教わった。当時の鹿教員クは月に2、3度しかチームで練習できなかったが「お互いが鹿児島のために頑張ろうと強いリーダーシップを持った選手の集まりだった」。そんなアマチュアチームが2002年に九州総合を制し、オールジャパンに出場、日本リーグのチームに勝つ試合などを身近で見ていた。その鹿教員クが手本としていた日本リーグのOSGもまた憧れの存在だった。

 バスケットの原点が鹿教員クとOSGなら、プレーヤーとしての原点は清水中にある。現在の身長は172cm、体重72kg、バスケット選手としては小柄な鮫島は試合を組み立て、コントロールする生粋のポイントガード(PG)だ。「全中(全国中学総体)出場」を目標に掲げた中学時代は川添裕司監督に徹底して鍛えられた。中3で全中ベスト8をはじめ、様々な全国クラスのチームと対戦した経験はPGとしての礎となった。
 日本人2人目のNBA選手・富樫勇樹と中学時代に対戦したことがある。学年は1つ下だが、当時から注目選手であり「『月刊バスケット』に載るような選手と初めてマッチアップした。リズム、ステップの踏み方、シュートのうまさ、どれをとってもかなわなかった」。

 鹿児島工高時代の恩師・宮迫崇文監督もかつて鹿教員クの選手であり、憧れの存在だった。県総体5連覇、ウインターカップ2連覇と無敵の強さを誇った。日本経済大時代はオールジャパンにも出場経した。2年続けてプレシーズンマッチでレノヴァと対戦しており、2回とも倒している。「プロバスケット選手」になることを本格的に意識したのは大学4年の頃。同級生や同世代の選手がNBLやbjで活躍している姿に刺激を受けた。
 そんな鮫島に「一緒にやらないか?」と声を掛けたのはレノヴァの球団代表・園田明と運営会社社長・大山亮平だった。レノヴァの母体となった鹿教員クは自身のバスケットの原点であり、レノヴァの選手たちとはプレシーズンで対戦しただけでなく、国体チームで同じチームのメンバーだったこともある。地元であり、「原点」のチームでプロ1年目のキャリアをスタートさせた。

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 1年目がNBDL最終年度のレノヴァ、2年目はB2初年度のレブナイズで2年間プレーしたが、その環境は「想像を絶するほど厳しかった」。提示された額はとてもプロとは言えない数字であり、その額さえまともに払われたことがなかった。チーム練習ができるのは水、金の2日間。自主練習やトレーニングのための施設は自分たちでお金を払って借りていた。
 レブナイズになってからトレーニング施設などは球団が支払うようになるなど多少の改善はあったが、給料未払いなどは変わらない。ヘッドコーチは誰が指揮するのか、チームとしてどういうバスケットを目指すかなどの明確な方針がリーグ開幕直前までなかなか示されず「誰を信じてついていけばいいのか」分からないまま、それでもプロとして結果を出さなければならないジレンマを常に抱え続けた2年間だった。(つづく)

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テーマ:バスケットボール(日本) - ジャンル:スポーツ

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