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奄美新聞正月特集・向井選手
5年後夢見て県外へ
6度のケガ乗り越え国体優勝
向井大賀(鹿児島商3年、喜界中卒)

191215正月・向井01

 向井大賀にとって2019年は過去2年間の苦節から、大きく飛躍した1年間だった。ケガのため2年間、県高校総体の出場すら叶わなかったが、8月はインターハイに出場し、10月の茨城国体では少年男子五千競歩で優勝の快挙を達成した。この上ない「シンデレラストーリー」を成し遂げた向井は、卒業後は県外の大学に進学し、5年後のパリ五輪出場を夢見る。




・6度の疲労骨折

 喜界中時代は野球部員であると同時に陸上の長距離や駅伝もやっていた。県中学総体の千五百では4分28秒のベスト記録を持っていた。高校では「陸上をして長距離や駅伝を走りたい」と考えていた向井は、声を掛けてもらった鹿児島商に進学した。
 意気揚々と島を出た向井を待っていたのは度重なる疲労骨折との戦いだった。走って練習を重ねるたびに足が痛くなる。2年間で実に6度の疲労骨折に見舞われた。
 痛さもさることながら「練習ができない時期が続いたのが一番辛かった」と振り返る。1年生の12月は奄美合宿で疲労骨折。年明けて3カ月間走れず、ようやく走れるようになって4月の県記録会で五千を走ったら身体がついていかず、17分台と記録も惨憺たるありさまだった。

・競歩への転向

 2年間、県総体や新人戦、駅伝はケガのためスタートラインにすら立てなかった。長距離の楠本美徳監督から競歩の転向を勧められたのは2年の秋、5度目の言疲労骨折をした時だった。やってはみたが、楽しさが感じられず、走ることへの未練を断ち切れなかった。
 競歩への転向を本格的に決めたのは2年生の2月だった。五千、千五百、八百ではなく、三千障害で3年夏のインターハイ出場を目指していたが、1月末に6度目の疲労骨折。このままでは5月末から始まる最後の県総体出場すらなくなってしまう。
 競歩なら身体の負担も軽いし「リハビリで歩いていたことがトレーニングになっている」と寮監でもある短距離の大内山誠監督の言葉に動かされた。
 「出場人数が少ないから全国を狙えるチャンスがある」
 この言葉が決め手になった。例えば19年の県総体の五千競歩は南九州予選出場枠4位以内に対して11人が出場した。ちなみに五千は82人が出場し、4組ある予選で上位に入り、決勝で6位以内に入らないと南九州にいけない。どちらが南九州出場のチャンスが大きいかは一目瞭然だ。

・右肩上がりの記録向上

 3月の県実業団記録会で初めて五千競歩の公式レースに出て、23分27秒で2位だった。初レースで24分は切れないだろうという周囲の予想をはるかに上回る好タイムを出し、向井も「競歩をやる」ことへの迷いを断ち切るきっかけになった。
 以後、4月の県記録会は22分43秒11で初優勝、5月末の県総体は22分38秒06で優勝、6月の南九州予選では22分53秒62で2位、7月の県選手権は21分31秒17で優勝した。
 8月のインターハイは直前の調整に失敗した上に、スローペースの展開に合わせてしまって調子を上げ切れず、12位と悔しい思いをした。だが同じ月の九州選手権では21分5秒78の県高校記録で2位。10月の国体は20分20秒39の県記録で優勝した上に県記録も塗り替えた。2年間のうっ憤を晴らし、転向7カ月あまりで3分以上記録を縮めたことになる。まさしく「災い転じて福」となしたサクセスストーリーだった。

・安定したフォーム

191215正月・向井02
 向井の競歩の特徴はフォームが安定していて、めったに警告を取られないことだ。「写真でフォームを見ると膝が逆に曲がっているんです」=写真=と解説する。
 走る場合はこれが身体への負担になって故障につながっていたが、競歩の場合はメリットになる。接地の際に膝が曲がると「ベント・ニー」の反則を取られるが、逆曲がりは問題ない。ケガを繰り返したことで向井は競歩という天性の競技に巡り合えたといえるのかもしれない。

 国体は全国の猛者を相手にスタートから積極的にレースを引っ張り、3000m付近からは「独り歩き」状態になった。ラスト1000mは様々なことが頭によぎり感極まった。優勝と記録更新の2つを成し遂げ「嬉しさしか感じられない」喜びの日になった。
 卒業後は県外の大学に進学して競歩を続ける予定。競歩は陸上の中でも日本人が金メダルを狙える種目でもある。競技歴1年にも満たない向井はまだまだ伸びしろがあり、4年間で更にレベルアップすれば、5年後のパリ五輪以降は世界を狙えるかもしれない。まだ現実味はないが「まずは長い距離を歩けるように」とすでに大学での競歩に照準を合わせ、黙々と歩き続ける姿があった。

 【メモ】むかい・たいが。2001年4月4日、喜界町出身。喜界小、中から鹿児島商高へ進学。19年茨城国体の少年男子五千競歩で優勝した。

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テーマ:陸上競技 - ジャンル:スポーツ

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