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年中夢求・第35回
16年前の想い
新報の魂を引き継ぐ!

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 「新報がなくなって、もう何年になるけ?」

 ある人に言われて気づいた。ちょうど16年前の2004年5月4日、私が6年間勤めていた鹿児島新報社という新聞社が廃刊になった日だった。
 夕方には「自宅で片づけていたら鹿児島新報の切り抜きを見つけた」と私が担当していた頃の「山形屋杯新報サッカーフェスティバル」の記事のスクラップ画像を送ってくださった方がいた。
 偶然にも2人から鹿児島新報のことを言われて、思わず16年前のあの日のことを思い返した。





 朝から雨だった。本来なら大学野球の取材に行く予定だったが、雨で中止になったのでこれ幸いと「ステイホーム」を決め込み、午後適当な時間に出社して、適当に仕事を済ませようと考えていた。

 午後、編集局長から電話があり、「社長から全員に話があるので出社してほしい」との連絡。この時点では「また何かミスをやらかして社長に説教されるのか?」ということぐらいしか考えていなかった。私がいたころの新報はれっきとした鹿児島の「地域新聞」でありながら部数は少なく、社員も入ってはどんどん辞めていくような会社だった。記事のミスも多く、一度は被疑者と被害者の名前を間違えて、それがライバル社の販売店の関係者だったこともあって大騒動になったこともあった。

 出社したのは午後3時ごろだったか。大学野球が雨で中止になった原稿だけを書いてのんびりしていたら、続々と人が集まってくる。休日に出社することはない総務や、広告、販売局の人もやってきた。

 「きょうは何で来たんですか?」。

1つ上の先輩で加世田支局の記者だったTさんに何気なく聞いた。

 「最後を見届けに来た」。

 そう言われて初めて、「うちの会社がヤバい」ことになっていると気づいた。

 実際に全員がそろったところで、社長から「きょうで廃刊」と言われたのはさすがに驚いた。てっきり数カ月、数週間の「猶予期間」でもあると思って、「県総体や高校野球はどうなるか?」と考えていたが、まさか「あすから会社がなくなる」とは思ってもみなかった。

 難しい事情は当時の自分に知る由もなかったが、要するに刀折れ、矢尽きたということ。不思議なもので、誰もがそれを受け入れる気持ちができていたのか、惜別の気持ちはあっても怒りの気持ちをあらわにする人はいなかった。日頃は陰で、憎まれ口ばかりを叩いていた上司たちのことも、あすから同じ会社の仲間でなくなる寂しさを感じていたような気がする。

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 その頃、私は人生初の単行本「地域スポーツに夢をのせて」の出版が大詰めを迎えていた。5月17日には出版記念パーティーを予定しており、単なる出版記念パーティーではなく「鹿児島のスポーツを語る夕べ」と題して、当時の鹿児島実サッカー部総監督の松澤隆司さんや鹿屋体大サッカー部監督の井上尚武さん、ヴォルカ鹿児島の選手兼監督だった前田浩二さん、鹿児島教員レッドシャークスの鮫島俊秀さん、鹿児島ブロンコスの今園貴文さん、SCCの太田敬介さんに壇上に上がってもらって、鹿児島のスポーツを盛り上げる起爆剤になるようなシンポジウムを企画していたので、その準備もしていた。
 余談だが、最初に本ができたのを手に取ったのが5月11日。ちょうど1週間前になくなった新聞が単行本になって生まれ変わった感動で涙したのをよく覚えている。

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 突然の廃刊による動揺や、会社がなくなる寂しさはもちろんあったが、むしろ「俺がやるべき時が来た!」という使命感のようなものがあふれ出てくる気持ちの方が強かった。会社を出たら大勢の取材陣からインタビューを受けた。「囲む側」で取材することは日常茶飯事でも、初めてテレビカメラに「囲まれる側」になってインタビューを受けたとき、最後に「新報はなくなっても、新報の魂のようなものは受け継いでいきたい」とカッコよく決め台詞を語ったのを覚えている(オンエアで使った局はなかったが…)。

 16年後の今思うのは、確かにその「魂」を「鹿児島のスポーツを伝える」ことで受け継いできたということだ。いろんな紆余曲折があった。自分の選んだ道を後悔したことが、何度も、何度も、何度も…あった。自己否定に陥り、まったく動きたくなくなったことも何度もある。財政的には「糊口をしのぐ」程度で、手を変え、品を変えしながら細々と生き残ってきたに過ぎない。ただ野球、陸上、バスケットボール、サッカー、体操…行ける範囲の鹿児島のスポーツ現場に足を運び、選手や監督が一喜一憂するそばにいて、写真を撮り、その人たちの話に耳を傾け、記事にするという作業だけはずっと繰り返してきた。

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 NPO法人の協賛会員募集という営業活動をこの4月から本格的に取り組み出したことで、私の身の回りは「生活革命」といえるほど劇的に変化した。その流れの中で期せずして16年前になくなった鹿児島新報のことを思い出し、今改めて「鹿児島新報の魂をこれからも引き継いでいく」気持ちを確認できた。
 16年前の出版記念パーティーの前日、会場のホテルで打ち合わせをしていたら、元ロッテの村田兆治さんに偶然出会い、事情を話すとサインボールと著書に「人生先発完投」と書いたものをプレゼントされた。パーティーの最後のあいさつで「鹿児島のスポーツを伝えるというマウンドを先発完投したい」と宣言したのも思い出した。

 「NPO法人スポーツかごしま新聞社は、私が愛した鹿児島新報社の生まれ変わりである」と今ここに胸を張って宣言する!

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テーマ:頑張れ自分。 - ジャンル:日記

コメント
この記事へのコメント
・鮫島先生(高校の時の先生)が写っている!
・ちょうどその頃、村田兆治氏の講演を聴いた気がする!村田氏がマリーンズの監督になるのを夢想してます.
2020/05/05(火) 09:26:31 | URL | シラサカ #-[ 編集]
Re: タイトルなし
鮫さんが正式採用されたときの高校生だったわけですね! 出版記念パーティーの前日は遅くまで受け付けの人と打ち合わせをして疲労困憊していたときに兆治さんに会って、救われたのを思い出しました(笑)。
2020/05/05(火) 13:42:49 | URL | つかさ #-[ 編集]
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