山口泰洋君(鹿児島実高野球部3年生)

卒業後は日本でも、アメリカでもなく、韓国の大学に進んで野球を続けたいと夢を描く。「韓国に日本の『山口』という名前を売り込みたいです」と張り切っている。
高校を卒業したら海外に語学留学をしたいと考えていた。地域の国際交流事業で海外の学生が実家にホームステイしていたことなどもあって、カナダかアメリカにでも行ってみたいと漠然と思っていた。韓国に行きたいと決意したのは今年の正月に帰省したとき。父・紀史さんに相談したところ「韓国だったら第2母国語が英語だから、両方学べていいのでは?」とアドバイスされた。ちょうど実家に漢陽大の教授がホームステイし、小学4年の頃、その教授のところにホームステイしたこともあって、韓国は身近な国だった。
【春の県大会、中種子・種子島中央戦で放った本塁打は山口君が高校時代、唯一の公式戦ホームランだった】

高校野球の締めくくりは苦い思い出になった。第3シードで迎えた第91回全国高校野球選手権大会鹿児島大会。徳之島戦は背番号7を背負い、5番・レフトでスタメン出場したが2打席凡退で途中交代だった。ベンチで声は出していたが「頭の中は、次の試合で絶対打つことだけしか考えていなかった」。延長十三回に徳之島の打者の放った打球が、レフトに上がった時には「これでチェンジだ」と思っていたのに、左翼線に抜けてサヨナラ負け。一瞬何が起こったのか分からなかった。悔しさ、プレーで何も貢献できなかった申し訳なさ、すべてをかけて挑んだものがいとも簡単に潰えた喪失感…いろんな感情が入り混じって打ちのめされていた中で唯一の救いは母・明美さんのひと言だった。
「3年間、ケガばかりで迷惑をかけていたのに、期待に応えられなくて申し訳ない」。両親にあいさつしたとき、明美さんは「あなたは自慢の息子だよ」と言葉をかけた。短いひとことだったが、親のありがたみが身に染みたという。
鹿実での3年間は、深い絆で結ばれた仲間と出会えたのが何よりの思い出だ。「グラウンドで、学校で、教室で、365日一緒にいました。結果は伴わなかったけど、どの代にも負けない絆で結ばれた仲間ができました」と胸を張る。高校野球で叶えられなかった仲間の想いも胸に刻み、2010年春、韓国へ旅立つ。
【メモ】やまぐち・たいよう。

1991年8月25日。霧島市溝辺町出身。小学2年からソフトボールを始め、中学からはフレッシュリーグ・ガッツ鹿児島で硬式野球を始める。鹿実では外野手。高校卒業後は韓国・漢陽大に進学して野球を続ける。172センチ。70キロ。
※次回はれいめい高校体操部出身の川野貢太君を特集します。
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