
先日、ふとしたきっかけで、自分の高校時代の夏の県大会のビデオを見る機会があった。今から16年前、1991年7月、4回戦の鹿児島玉龍−鶴丸戦。当時僕は高校二年生でベンチに入れず、スタンドで応援していた。残念ながら母校・鶴丸はこの試合0−6で敗れ、先輩たちの夏は終わった。最終回の攻撃で、フェンスにしがみつき、涙目になって応援している僕の姿が大写しになり、放送の解説者に三年生と間違われたことが懐かしく思い出される。
当時はバッティング用の皮手袋も使えなかったから、みんな素手でバットを握っていた。当然エルボーガードやレッグガードもない。グローブも黒は使えなかった。ヘルメットは両耳ではなく片耳だった。ひじにテーピングを張っている選手が多いのも妙に気になった。巻き方もバラバラで、単に痛いところを自己流で固定しているだけなのだろう。鶴丸も玉龍もユニホームのデザインは基本的に変わっていないが、当時のユニホームはどことなくピチッとしていて細身に感じる。別のチームの映像でオーバーストッキングの下の部分を思い切り長く伸ばしているのが何となく笑えた。中学生の頃はプロ野球でそのスタイルが流行っていて「プロの真似をするな!」と厳しく言われたものだ。今はプロ野球でもイチローのようにクラシックスタイルを取り入れている選手も多く、高校野球もローカットのソックスが一般的だ。ユニホームの着こなしは今の方がカッコよく見える。野球のスタイルも当時の公立高校はバントや守備などの堅実野球が主流だったが、今はノーアウト一塁でも簡単に送ってこなかったり、攻撃、守備の戦術も高度になっている。用具、服装、野球とも時代とともに進化していることが実感できた。

一番大きな違いを感じたのは、ゲーム中の「笑顔」だった。当時の選手たちは映像で見る限りほとんど笑顔がない。ファインプレーでも淡々としているし、ベンチに引き上げるときに写真のような笑顔やハイタッチをする選手が見られなかった。時折投手の顔がアップになるが、試合開始から終わりまで「ここで負けたら全てが終わり」(実際そうなのだが…)という悲壮感が漂っていた。
無論、今も昔も、勝利を目指して真剣に野球に取り組んでいるのは同じなのだが、当時は「野球を楽しむ」とか「のびのび野球」なんて発想自体がなかったような気がする。僕らは「練習中に水を飲んではいけない」といわれたおそらく最後の年代ではないかと思う。勝利を目指して真剣に野球はやっていたが、見方を変えれば余裕がなかったともいえる。まだ試合も終わっていないのにフェンスにしがみついて涙を流すということは、余裕のなさの現われでもある。今は昨年の鹿児島工しかり、一昨年の神村学園しかり、ゲーム中のさわやかな笑顔が印象に残っている。歯を食いしばって頑張ることは大事だが、大舞台で結果を出すためには、平常心で選手たちの力を持っている力を引き出すことの大事さに多くの指導者が気づいた。そのための武器が本番でも「笑顔」でいることなのだろう。
7月1日、89回目の夏の甲子園を目指した戦いが始まる。混戦といわれる夏の鹿児島を制するのは、いい笑顔で戦ったチームのような気がする。
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