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鹿実VS薩摩中央―「番狂わせ」の真実・第8回
主将の意地と代打・岩下(下)

 「バキッって鈍い音が三塁まで聞こえました」
 その試合は三塁を守っていた黒木も、その音だけははっきり覚えているという。5月の連休中、鹿実の主力チームは大分に遠征に行く。居残った2、1年生チームが鹿実のグラウンドで鹿屋農と練習試合を組んでいた。鹿屋出身の岩下は、顔見知りの同級生や先輩がいるチームとの対戦を楽しみにしていた。その日の練習試合が終わったら「入学して初めての帰省だったから、両親も応援に来てくれていたんです。ケガで帰省どころじゃなくなりましたけどね」と岩下。一塁手で守っていた岩下のところにファールフライが飛んだ。一塁のベンチ前付近で、互いに打球を追っていた捕手と交錯。黒木も覚えている「鈍い音」はこの時、岩下の右太ももの大腿骨が粉砕骨折した音だった。

 約1カ月は入院。大腿骨が3カ所折れており即手術。退院してからも、年内いっぱいは大きな装具をつけて毎日リハビリに通院する日々が続いた。「野球」をする以前に「普通に歩く」ことさえできなくなるかもしれない重傷だった。約半年後の1年生の冬場に、野球部に「復帰」することはできたが、トレーニングは当然できない。できるのは打撃マシンにボールを入れたり、ティーバッティングのボールを上げたり、チームメートの練習をサポートすることぐらい。定期的にリハビリには通い続けなければならないから、グラウンドを空けることも多かった。

 「医者に『普通に歩けなくなるかもしれない』と言われたときはさすがにショックでした」

 岩下は当時を回想する。「正直、野球を辞めたい」という思いも頭をよぎった中で、「絶対また復活するんだ!」と思えたのは「仲間や両親の支え」があったからだ。同じ鹿屋東中出身の林孝亮をはじめ、同級生が電話やメールで毎日のように励ましてくれた。父・亨、母・夏子は週末には必ず車で2時間かけて鹿屋市から鹿児島市内の病院まで見舞いに来てくれた。その想いに何としても応えたい一心でリハビリに励み、新チームに移行した2年生の8月にはようやく「野球部の練習」に復帰することができた。
 野球ができるようになったといっても、右足には14カ所、医療用のボルトが埋まっている。ひざが曲げられず、満足に走れない。守備と走塁はあきらめた。自分がチームに行かせる道は打撃しかない。その想いで岩下はひたすらバットを振り続けた。
 鹿実の朝練習は6時半から始まる。岩下は寮の起床コールの5時45分が過ぎると、真っ先にグラウンドに出てきて6時にはバットを振っていた。本当はもっと早い時間から振りたくて、何度か起床コールよりも早く起きて練習をしたことがあったが、宮下に「団体行動を乱したらいけない!」と叱られた。それでも言うことを聞かなくて練習したことがあったが、2度叱られてからはチームの決まりごとは守るようになった。夕方の練習は9時ごろチーム練習が終わり、そのあとは自主練習に入る。コーチの岩切信哉が「自主練終わり」と告げるギリギリまでバットを振っていた。「練習」といっても、バットを振るか、ティーを打つか、メニューは限られている。それでも毎日毎日、朝早くから夜遅くまで、バットを振り、ティーを打ち続けた。「僕も1回真似しようと思ったことがあるんです。でもとても真似できなかった」と田はその鬼気迫る練習ぶりに脱帽する。

 新チームになって、8月末の鹿児島市内新人戦からベンチ入りすることができた。以後、神宮大会で外れた以外は秋の県、九州、センバツ、春の九州とベンチ入りメンバーには選ばれている。生かせるのは代打の1打席のみ。中々結果が出せず、「自分のような、守れない、走れない選手が試合に出ていいのか?」と悶々とした中で、宮下は辛抱強く自分を使ってくれた。何かが吹っ切れたのは3年生の5月の連休に大分に遠征に行った時のこと。盈進(広島)と練習試合をしたとき、代打で結果を出し、宮下に褒められた。それで何かをつかむことができた。「練習試合でも、公式戦でもほとんど代打で結果を出していますよ」と黒木は言う。八回表、二死一二塁。スコアは1―4の3点差。歩けなくなるかもしれないケガをした岩下が、この場面を託せるだけの信頼を勝ち取る選手に成長した。

 この試合、岩下は六回ぐらいからベンチ裏のブルペンでバットを振りながら、出番を待っていた。時折、試合の状況を確かめながら、いつか必ず回ってくる自分の打席のために準備をしていた。その場面が八回にやってきた。

 「ここが勝負だ。思い切っていけ!」

 宮下はそんな言葉を岩下にかけた。岩下の長所は「思い切りの良さ」にある。チーム一の努力家であり、誰もがこの場面を任せられるのはあいつしかいないと認めている。「あいつはいつもライナーで右中間、左中間を抜く打球を狙っている。思い切り振って、落ちたところが結果ですと言えるだけのものを持っているんですよ」と解説する。下手な小細工をせず、思い切りバットを振ってくれれば、ホームランか、長打か、ヒットかは、落ちた場所が決めてくれる。そのぐらいの切れ味を期待できる打者だった。

 「ヒットを狙って後ろにつなごうと思っていました。つなぐことさえできれば絶対に流れが来ると思っていましたから」(岩下)

 今思えば、この1打席に対して、やはり相当な気負いや力みがあったのかもしれない。「ヒットを狙いにいって、『なでる』ようなバッティングになっていた」と宮下は振り返る。「後ろにつなぐ」。これは高校野球の打者が常々口にするセリフだ。間違ってはいない。ただ、この打席で指揮官が期待したのは、「ヒットを狙う」のではなく「思い切って振る」ことだった。内角高めの直球。思い切り振ることができれば、あるいはホームランにすることもできたかもしれない甘いボールだったが、二塁ゴロに倒れた。まだ九回表の攻撃は残っている。だが、鹿実の夏は、この時点ですべての「武器」を使い切ってしまっていた。
(続く)
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テーマ:野球全般 - ジャンル:スポーツ

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