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鹿実VS薩摩中央―「番狂わせ」の真実・第10回
敗因―「春」から「夏」を迎える難しさ
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指揮官・宮下があの敗戦で痛感したのは「春から夏を迎える難しさ」だった

 九州最強を誇ったこの年代の鹿実がなぜ勝てなかったのか? その「敗因」はどこにあるのか?
 「答え」を見つけることは容易ではない。九州大会秋春、連覇、センバツベスト8…奇しくもそれは宮下が現役で主将を務めていた1990年、91年の鹿実と全く同じ成績だった。鹿実史上NO1スラッガーの呼び声高い内之倉隆志(元ダイエーホークス)らを擁したこの時の鹿実も、歴代鹿実の中でも三指に入る強力チームだった。NHK旗の決勝で公式戦初黒星を喫したことも、最後の県大会初戦の相手が鶴丸だったことまでも共通していた。その時の夏は、甲子園で西日本短大付(福岡)に準々決勝で敗れてベスト8で終わっており「監督さんの代を超えよう」はチームの合言葉だった。

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 鹿実に限らず、高校野球の指導者は、そういった苦い経験を何度も何度も繰り返し、修正と実践の連続で新しいチームを作り、次の甲子園を目指す。あの敗戦から約5カ月後の12月、時が経ったからこそ思えることを宮下に聞いた。

 「今思えば、何かこう気持ちが乗ってこない。いつもの夏らしくないものを感じていましたね」

 時が経ってみて正直な心境を語った。大会に臨んでいる真っ最中はそんなことを、口にも態度にも出したことはない。いつもの夏と同じように、あるいはそれ以上に気持ちを高めてやっていると、自分にもチームにも言い聞かせていた。ただ一つ、抱えていた「不安要素」を、完全に払しょくできていなかったことが、望む結果を得られなかった最大の要因ではないか。
 宮下が抱えていた不安要素は「ベストコンディションが作れなかったこと」だった。リードオフマンの平山はセンバツ直前に右足を疲労骨折して、春の九州大会はベンチを外れた。主砲の田は右肩の脱臼でNHK旗はほとんど出場していない。杉山は腰を痛めており、表面には出ていないが豊住でさえ腰に「爆弾」を抱えている…秋春と九州を制し、センバツでもベスト8と結果を残し、順調に夏への準備を進めているように外からは見えたチームも、内情は「誰かが完治すれば、別の誰かがケガをする。その繰り返しで夏が来てしまった。じっくり休んでコンディションを整える時間が作れなかった」(宮下)。

 いつもなら、NHK旗のあと、夏の大会までの間に、地獄を見るほどの追い込みをかけるのだが「ケガ人が多くて、そこまで追い込んだ練習ができたかといえば、できてないんですよ」(宮下)。実際にそれは選手も感じており、「2年生で甲子園に出た夏前とすると練習がそこまで厳しくないような気がしていました。その分を自主練習で補っていました」と田は言う。その時は意識していないし、仮に頭のどこかで感じていたとしても、宮下は「このチームなら勝てるだろう」という思いがあった。「それが私の甘さです」と言い切った。
 監督7年目で、この夏の体験を通して、痛切に宮下が感じていることがある。「春」から「夏」を迎える難しさだ。「夏」から「秋」を迎える難しさは08年に経験した。あの時のチームで宮下は監督として初めての甲子園を経験できたのだが、新チームの秋は準決勝で川内に敗れた。「そのことを1年間引きずってしまった」チームは09年夏、徳之島に初戦敗退という屈辱を味わっている。10年夏、豊住らより1つ上の代のチームで2回目の夏を経験し、豊住らの代の新チームは鹿児島、九州と制して、センバツをつかんだ。「夏」から「秋」を迎える難しさは、この時クリアできた。だが、今回、故障者がなかなか完治せず夏にベストコンディションをもってこられなかった苦い経験を通して「またひとつ指導者としての課題ができました」。
(続く)
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テーマ:野球全般 - ジャンル:スポーツ

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