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鹿実VS薩摩中央―「番狂わせ」の真実・第28回
「あの夏」が残したもの・下
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 「野球だけの力じゃない。心技体のすべてが大事だと教わった大会でしたね」

 神村=写真右=はあの夏を体験して、大舞台で普段通りの力を発揮するために何が必要かを学ぶことができた。



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 グラウンドで野球をするのは選手と監督。だが、「野球部」を作り上げるためには部員、指導者、保護者も含めたトータルの「組織力」(神村)が大事だと実感できた。強豪私学のように県内や県外から野球の力のある選手を引っ張ってくることはできない。全寮制で全員が生活をともにして、指導者が管理できる野球部と違って、部員は親元から通う。彼らを「大人の集団」に育て上げるためには保護者の協力が欠かせない。日々の体調や栄養管理、生活習慣から考え方に至るまで、家庭で過ごす時間の意識をどう変えていくか。保護者の協力と密接なコミュニケーションがなければ成り立たない作業だ。1回遠征を組むだけでも部員の送迎や、宿泊の手配、会計の管理など面倒な作業がたくさんある。この代の薩摩中央は、母親を中心にそんなことも惜しみなく協力してくれた保護者たちだった。親として3年間野球部に関わってきた前園=写真=「自分の子供ももちろんいるけど、他の部員も自分の子供のような気がしています。他の保護者の皆さんも同じ想いで野球部を支えていたと思います」と胸を張る。
 このチームは過去の宮之城や薩摩中央に比べれば、野球の実力がある選手が集まった学年だが、県のトップクラスの素材というわけではない。平日の練習時間は、夕方4、5時から8時ぐらいまでの3、4時間。土日は終日練習が組める。特に時間が足りないわけではないが、特別恵まれているわけでもない「普通の公立高校」(神村)だ。そんなチームが望む結果に近いものを得られたのは「何より主将の宮脇をはじめ、子供たちが人間的にしっかりしていた」からだと神村は考えている。練習メニューをどうするかと尋ねたら、自分たちから厳しいメニューを選択した。学校の前の坂道ダッシュを10本ですませたい気持ちに打ち勝って、20本走ろうと自分からやる子供たちだった。何より「勝ちたい」欲を強く持っていたから自分で自分を追い込んだ。「良い選手がいるから勝つわけじゃない。最後に思うような結果を残せるのは人柄の良いチーム」だと確信が持てた。

 彼らを快進撃に導いた要素がもう一つあるとすれば、さつま町地域全体の力も挙げられるだろう。元々野球熱の高い街であり、宮脇、崎山、富満と前園の息子・剣人、寺本の5人は宮之城の軟式野球スポーツ少年団の出身で、前述したように全国大会を経験した。教員ではないが学校職員の神村が20数年にわたって、宮之城高、薩摩中央と同じ地域で指導できたことも大きい。1963年生まれの神村は、旧薩摩町の出身。ちょうど今の保護者たちとは同世代か先輩、後輩という間柄で気心が知れていた。
 97年に北薩大地震があった頃、宮之城高のグラウンドが使えず、町営グラウンドを間借りしていた時代があった。少年団の野球もそこでしていたから、宮脇たちやその前後の世代はその頃から神村のいるチームの高校野球を身近に感じていた。99年に春夏連続ベスト8、秋に九州大会出場など実績を残し街が盛り上がる姿を幼いころから間近で見ていて「自分たちも地元に残って甲子園を目指そう」という気持ちを持つことができた。
 98年に川内高が木佐貫洋(現オリックス)を擁して、やはり夏の決勝まで勝ち上がったことがあった。その時も小学校の頃からの同級生たちが、地元から甲子園を目指そうという気持ちになって団結したことがきっかけだった。それは私学や都会の学校にはできない、地域の学校ならでは「アドバンテージ」だ。

 人口約2万4千人の街が、野球部の快進撃で盛り上がったことを物語るエピソードは枚挙にいとまがない。決勝戦のあった7月23日は、さつま町がバス3台をチャーターして、薩摩中央の一塁側スタンドは全校応援ならぬ「全町応援団」の様相を呈していた。前園がよく行く食堂に入ると「感動をありがとう」の垂れ幕が飾ってあった。「近所のおじいちゃん、おばあちゃんが『応援にはどうしても行けなかったから、一度あのユニホーム姿を見せてくれないか』と頼まれたこともありましたよ」(前園)。悲願の甲子園出場を果たしたあかつきには「寄付をしたい」と申し出る人も大勢いた。「できれば出る前に頂けるともっとありがたいですが…(笑)そういう気持ちが本当にありがたいですね」と神村は感謝する。

 あの夏と同じ、もしくはそれ以上のことが薩摩中央に起こるのは、そう何度もあることではないかもしれない。だが何年か、何十年かに一度でもいい。あらゆる知恵と努力を結集し、見えざる運をつかまえることができれば薩摩中央が甲子園に行けるのではないか。それが実現不可能な夢物語では決してないことを証明したのが、2011夏の薩摩中央だった。
(第2部了)

※「スポかごNEWS」上での連載は第2部をもって終了します。第3、4部も含めて今夏中には単行本化を準備中です。乞うご期待!
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

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「あの夏」が残したもの・下 「野球だけの力じゃない。心技体のすべてが大事だと教わった大会でしたね」 神村=写真右=はあの夏を体験して、大舞台で普段通りの力を発揮するために何が必要かを学ぶことができた。
2012/05/19(土) 07:51:01 | まとめwoネタ速neo